俵屋旅館の一番星

 俵屋旅館の奥さんである千代子さんは、埼玉生まれ。結婚して早川町に来る前は昭和女子大付属高校で教鞭を取っていました。現在はご主人の十四朗さんが町会議員になったことを受けて俵屋旅館、俵屋観光の社長に就任し、ますます旅館の経営に邁進していらっしゃいます。
 千代子さんは結婚当初、早川町の環境になかなか馴染めなかったそうです。ところがそのうちに子どもが生まれ、よちよち歩きを始める頃になると、子どものためにと近所の親子と親交を持つようになり、少しずつ地域に入っていけるように気持ちを切り替えられたのだとか。慣れ親しんだ標準語も、息子さんが早川中学校に入った頃、友人達と地元の言葉で談笑しているのを聞いて、「自分の子どもが話している言葉を受け入れなければ」と思い、以来、地域に対して早川の言葉を使って接するようになったのだそうです。千代子さんにとって子どもという存在は、少なからず地域に対して柔軟になっていくきっかけとなったのかもしれません。
 そんなお子さんたちも、もう大学生や社会人になりました。早川町を故郷として愛し、いずれは旅館を継ぎたいとまで言ってくれているそうです。千代子さんは、長男だからどうだとか、次男はこうあるべきだとか、そうした考えを持っていないので、本当に継ごうと言うのなら誰が継いでくれても構わないと思っているのだとか。継いでくれた子には、それまでに自分が築き上げたものを全て残すつもりでいるし、もし結果的に誰も継がなければ自分たちの老後の資金にでもすると言っていました。
 取材班が旅館業という仕事の苦労について尋ねると、「これといってない」というお答えでした。どんな仕事をしても苦労があるのは当たり前だし、自分たちの努力が即、現金収入につながる業種であるのはむしろありがたいことだといいます。なるほど、確かにその通りかもしれませんが、実際働いている立場でそう言い切れる人はなかなか居ないはず。そうした千代子さんの前向きな考え方が俵屋旅館の繁盛を支えているのかもしれません。教職を捨てて旅館に行くと決めた時も、周囲の友人に「せっかくの安定した職業を捨てるのはもったいない」と言われたそうですが、千代子さんにとっては、人に使われる立場の仕事と違い、旅館業には自分がやっただけのものが返ってくる魅力があったそうです。「これも縁ですから」そういって笑う千代子さんの笑顔がとても印象的でした。
 世間体を笑い飛ばす豪快さと、お客さんに対する気配りのきめ細かさ。俵屋旅館の社長、千代子さんは実にこの二つを兼ね備えた人でした。

  • 俵屋旅館の一番星

千代子さん

居住地 本建地区 角瀬
取材日 2002/12/16
取材者名 小宮 一穂