減ったとしても
山形生まれのみさこさんは、東京で知り合った旦那さんと昭和40年にこっちへ来ました。早川町には36年間住んでいます。来た当時は旦那さんのご両親の代からやっていた旅館をやりました。ますや旅館です。かつては集落内に旅館が4軒ぐらいありましたが、東京電力の人や登山客などが徐々に減り、旅館も減ってしまいました。また、集落の人口も家の数も少なくなってしまいました。集落内にたくさん空き屋、留守屋があります。畑もかつては集落の上の方にあったけど、やる人が減って昭和50年くらいからだんだんと山になってしまいました。
早川は空気がきれいで山がきれいだから好き。ただ、交通が不便。」とみさこさんは言います。「あまりうまくないんだよ」と言って、折り紙手芸を練習中ということをこっそり教えてくれました。
《子ども調査員の感想》
かおりちゃん
山形県で生まれて、早川に旦那さんときて、住んでいる人が居るのがすごくうれしかった。早川を愛している人がいてよかった。
そういちくん
山形から早川へきて山形から早川は、すごい距離なのに、早川にきて早川を愛していると言ってくれてとてもうれしかった。
みさこさん
居住地 | 三里地区 新倉 |
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取材日 | 2001/12/03 |