スタッドレスタイヤが必需品

 望月康志さんは早川町で生まれ育ち、30歳までここで暮らしていました。建設会社に勤務し、30歳の時にお仕事の都合で千葉県の市原市に転勤となり、一家全員引っ越しました。お子さんがまだ小学生の時だったそうです。現在お仕事の方は、退職し、お盆やお彼岸、家の管理等で月に1回程度週末を利用して、大島に帰って来ます。今回偶然にもその機会に巡り会うことができました。康志さんは5人兄弟で、帰ってきた時には、兄弟みんなで集まるそうです。大島の家は、そのために残してあり、兄弟で共有し、いつも1泊か2泊して帰ります。今では兄弟、家族の心身を癒す場所として、何時でも誰でも来られる場所になっているのだそうです。
 康志さんにとって早川町での1番の思い出は川遊びや魚釣りで、鰻や鰍をひぶりでついてよく捕まえたと懐かしそうに話していました。奥様の百子さんも早川町出身で、丸太の橋を渡って学校通ったのが1番印象に残っているそうです。早川町を出たいと思って、実際に出て行った康志さんですが、本籍や住民票は早川町にあり、早川町との縁は切っても切れそうにありません。いずれは、早川町に帰って来る事を考えているとかいないとか・・・。
 そんな康志さんですが、早川町の人たちとのつきあいは今も大事にしており、何かあって連絡が入った時は、いつ何時でも市原から真っ先に駆けつけると熱く語っていました。だから、康志さんにとってスタッドレスタイヤは必需品なのです。

  • スタッドレスタイヤが必需品

康志さん

居住地 硯島地区 大島
取材日 2002/03/03