山でも仕事をしていました。

 「雨畑から嫁に来た時は、畑仕事も知らなかったからねえ。」そうおっしゃる和嘉子さんの実家は雨畑のたばこ屋さん。最初は、慣れない畑仕事に苦労したそうです。嫁ぎ先の新一さんの家は、200年に渡ってここ老平に住み続けていて、昔は県の公団から県有林の仕事を請け負って、人も雇って林業をしていました。しかし、山の仕事はきつく、人が辞めていったため、和嘉子さんも山に入った時期があるそうです。伐採は新一さんやそのお父さん、その後の植林の仕事を和嘉子さんがしていました。4月に植え付けをし、5月に下草取り、11月には整地と、山の仕事は一年中あり、大変だったそうです。
 そんな訳だから、畑仕事はほとんどおばあさん(新一さんのお母さん)の仕事。しかし、畑仕事以外でも、いろんなことをしていました。お茶は近所で集まって炭を炊いて、手もみで作っていたし(やっぱり炭で手作りがおいしい!)、ワラビやふき、ミネゴシ(シメジの一種)は塩漬けにしていました。井戸の水は少ないため、人があまり水を取らない夜中に水を汲み、餅米を洗うくらいの時は沢に降りて沢の水を使っていました。常に知恵を使い、工夫して生活してきたのですね。
 庭に出ると、和嘉子さん自慢の花が咲き、新一さんが手入れしている立派な植木がお出迎え。「ここは、静かだし、陽当たりもいいから、いいところだよ!」そんな和嘉子さんの言葉を実感しながら、僕らは新一さん和嘉子さんのお宅を後にしました。

  • 山でも仕事をしていました。

和嘉子さん

居住地 硯島地区 老平
取材日 2002/08/05
取材者名 本田 智比古