いつも笑顔の大阪屋さん

 80まえだけど、まだおばちゃんといえるほど元気です。戦争中に親戚である大阪屋に疎開してきたときに結婚しました。
 ─旅館だそうですね
「ええ、昔はもう客がこないでと祈るぐらい忙しかったね~。特に五月の初めはね」
 ─たくさんの人が来ていたんですね
「お客さんには食器が足りなくてね。二人で一膳使ってもらったこともあったけど」
 ─今はどうですか
「今は霊友会のときなんかは、団体さんが泊まるんですよ。ほかの二軒の旅館の江戸屋さんと恵比寿屋さんとで分担するんです。うちは五十人ぐらいかな、近所の人にも手伝ってもらって。後は九月から十月くらいには頼まれるとお弁当なんかは出しているんですけど」
「昔はお米がなくてね。配給だったし、だからお客さんにはお弁当を作ってほしかったら、米持ってこいって言っていたんです」
「昔とくらべたら、泊まる人はほとんどいないし、むかしのなじみのお客さんも顔を見せてくれる程度だから」
 ─昔はお米がなかったというお話でしたが、この辺りでお米は取れたのですか?
「集落の下の方に田圃を持っていたけど、今はやめっちゃってるね~。水車もあって水もよく回っていたけど…。今の田圃は畑みたいになっちゃっているでしょう」
 ─今と昔では色々変って来ているのですね。
「ええ、今の人は昔の人より人情が薄くなっているし」
 ─昔は何かお仕事をされていたのですか?
「戦争中は、何もしていないと軍需工場に行かせられるから、先生をやっていたのです」
「空襲警報が鳴ると子供が帰るので楽だったの」
 このおばちゃんは話の合間に調子をつけて面白い事を色々言います。
 「一度来ぬ馬鹿、二度来る馬鹿、三度来るのは大馬鹿だ」「紫八丁昇りたければ、昇ってこい」など、その場その場で名言を生み出していきます。
 大阪屋の裏には赤沢の資料館があるので、行って見て下さい。

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大阪屋さん

居住地 本建地区 赤沢