同志会会長四代目

 現在の赤沢のまちなみ保存のきっかけとなった同志会の四代目会長をしている恵比寿屋のだんなさん。同志会とは昭和五十五年にUターン者が十人くらい戻ってきて、その青年達により発足しました。会議のときは酒を飲まないなどの規則もその時からあったそうです。四代目も発足当初から参加していて、当初のお話もしてくれました。
「そのころは、集落内で祭りなんかの行事もなかったから、まずはその復活から始めましたね。そのときは住民の人には何をするのかと思われていましたけど、だんだん理解されてきました。その後、大学の先生のアドバイスをもらって、石畳班とふるさと通信班と植樹班に分かれて活動をしてました。石畳班は石畳やまちなみのことを考えたり、ふるさと通信班は年に四回季刊という形で赤沢を出て行った人に配ってました。植樹班は四月に植樹際を開催して、しだれ桜や紫陽花なんかを植えていました。この祭りは同志会は裏方に回り、老人クラブや子供クラブを中心にやっていました。」
 現在の活動は今迄やってきたことを維持しながら、今後赤沢がどうしていったらいいか話し合っているそうです。まちなみを整えて観光客を呼びたいというのもありますが、旅館などの後継者がいないので、Uターンして戻ってきてくれる人が必要だそうです。しかし、現実は難しく、Uターンしてきても定年後の人であったりなど若い人は少なくなっています。Iターン者も歓迎だそうです。
 四代目もUターン者で御両親の面倒も見るために帰ってきて、現在は赤沢にある内藤工務店に勤めています。娘さんと息子さんがいますが、やはり出て行ったとしても息子さんには戻ってきて欲しいそうです。
 恵比寿屋は旅館です。その辺りのお話もしてくれました。
「赤沢の旅館は身延山から七面山に行く団体さんのための宿だったから、個人の観光客の方が見えても、嬉しいのですけど、ちょっと困ってしまうんですよね。部屋がみんな大部屋なもので。四月から十月に団体のお客さんがみえるんですが、うちはこれだけで専業でやっていくことはできないんですが。昔は身延山から七面山まで歩いていまして、身延山から来ると赤沢でちょうど夕方になるので、皆さん泊まっていただいたのです。今は皆さん車で来られ、通り過ぎてしまう方も多くて…」
 現在の赤沢は、一般の観光客に来てもらうには、まちなみは整い始めてますが、宿や食事場所・土産物屋など足りないものがまだあり、これからの課題かもしれません。
 これからも赤沢の将来は同志会が引っ張っていくためにも、四代目である恵比寿屋のだんなさん、がんばってください。

  • 同志会会長四代目

恵比寿屋のだんなさん

居住地 本建地区 赤沢