72才、今が娘ざかり

 70才でようやく娘ざかり、男ざかりという満枝さんは、72才とは思えないくらい顔つやもよく、背筋がピンと伸びたおばあちゃん。それもそのはず、1年前までは、三保屋旅館を1人で切り盛りしていました。多い時には、20人~30人もの宿泊客があり、毎朝3時起きをして、宿泊客の朝ごはんと昼ごはんの仕度をしたそうです。東京電力、日立の人たちが常宿していました。でも、だんだん早川町に仕事がなくなってきたため、泊る人たちが少なくなり、三保屋を閉めざるをえなくなったと話してくださいました。
 めんどう見のよい満枝さんは、旅館をしながら18年間、早川町の民生委員をしていました。お年寄の面倒を見たり、話相手になるのが大好きだそうです。夜になって、新倉集落の上の方、下の方に灯がともると、「今日もみんな元気で過ごせた。」と安心し、一軒でも暗い家があると、すぐそこへ行って安否を確かめたそうです。年ごとに灯がつかない家が増えてきたことはとってもさみしいことだと話しておられました。満枝さんの話から、早川町の推移がわかります。
 女性団体連絡協議会会長、社会教育委員、民生委員をしていたとき、全国各地を回ったが、早川町ほどよいところはないと話してくださった満枝さん。自然がいっぱいあって、空気もよくて長生きできる町。でも、高齢化が進むことを考えると、福祉の面に力を入れなければと町への注文もしてくださいました。そして、元気な老人でいられるように体を動かそうと呼び掛けてくださいました。 早川町に生まれ、早川町に嫁ぎ、早川町に住んでいらっしゃる満枝さんから、もっともっとお話を伺いたかったのですが、2才のお孫さんこうちゃんの「にいにい、バイバイ」の声に見送られて、家を後にしました。

 《子ども調査員の感想》

 かおりちゃん
 孫のめんどうを見ながら好きな、手芸や料理をしていていいなーと思った。

 そういちくん
 昔は、家が100けんもあったけど今は、40けんしかなくなってしまった。昔は、早川は、にぎやかだったなとおもった。

  • 72才、今が娘ざかり

満枝さん

居住地 三里地区 新倉
取材日 2001/12/03