求む!常時接続

 今回は学生以外に二人の小学生が聞き手に参加してくれました。飛翔くんと千郁ちゃんです。
 「このまちは好きですか?」、いきなりの千郁ちゃんのストレートな質問に対して、「好きも嫌いもないよね、『空気はおいしいですか?』という質問と同じで、当たり前なんだよね。」、顔見知りの小学生からの質問に少し照れながら、そう答えるのは新倉生まれの一浩さんです。
 学生の頃は東京へ出ていましたが、7,8年前に新倉に戻ってきました。今は中学校のパソコンの講師をしています。パソコンを始めたのは、早川に戻ってきてからだそうですが、今では早川町で常時接続ができないから困っていると言う程パソコンが日常になっているようです。「道路つくるより切実な問題なんじゃない?」なんて冗談でしょうか。「先生をやって始めて分かったんだけど、中学校が全町で一つだし、スクールバスに左右されるから仕方がないのかな。今は寮住まいの先生が減って通いの先生もいるんだけど、昔は先生みんなが寮に合宿してる感じで、先生が学校にいる時間も長くて、もっと賑やかだったかな。」一浩さんが子供のころは早川町にも子供が多くて、小学校の同級生も14人いたそうです。四年生の頃、美里小と西山小が北小学校に統合されたことで、西山にも友だちができたから、小学生の頃は日曜の度に自転車で新倉と西山を行ったり来たりしたそうです。缶蹴りをしたり、爆竹で戦艦のプラモデルを壊して遊んでいたようです。
 「今と昔で早川町は変わりましたか?」、そんな飛翔くんの質問ですが、あまり変わったという認識はないそうです。小学校自体も昔からあまり変わりはなく、わらべ祭りや白鳳祭などの行事は当時から続いています。でも生徒数は減っているので、今では赤白2つしかできない班分けも、昔は6つにできたそうです。 最後は千郁ちゃんから核心を付く質問です。「ずっとこのまちに住みたいですか?」それに対しては「いることも抵抗ないし、別に出ていくことにも抵抗ないんだよね」と答えていましたが、その感覚があったから早川町に戻ってくることにも抵抗がなかったそうです。早川町生まれだから、普通のこととして捉えられているけれども、本当は普段の生活の中で早川町の良さを感じているのでしょう。

 《子ども調査員の感想》
 ちかちゃん
 一浩さんが小さい時は、よく西山まで自転車にのって友達に会いに行っていたと聞いてびっくりした。

 つばさくん
 一浩さんは、ぼくと時々、遊んでくれますが、くわしいことは知りませんでした。できたころの北小のことを知っている(そのころからいる)ことも初めて聞きました。それに、子どものころの遊びとかも初めて聞きいて、西山の方まで行っていたことが、びっくりしました。

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一浩さん

居住地 三里地区 新倉
取材日 2001/12/03