山の雄トラ

 虎雄さんは80歳、昭和10年に山を降りてきて、発電所で働いていたそうです。しかしその間も絶えず山に手を入れ、今日まで仕事を続けてこられました。
 そんな虎雄さんにとっては、上の世代の人々から聞いた話が、自分の話と同様に大切なことであるらしく、私たちにもまずその話を詳しく話して下さいました。昔の人たちが、峠を越えて鰍沢町の十谷に降りていき、炭や山のものと、塩や砂糖などの物資を交換したことや、木材を川に流して、船で誘導しながら運んだことなどです。
 虎雄さん自身は、畑では野菜の他に紙の原料としてミツマタも栽培し、蓋付きの大きな釜で蒸かして皮だけにしてから背負っていったそうです。
 苦労して、夏は鹿や藤蔓から、冬は熊から木を守っても、今はなかなかお金にはかえられません。しかし虎雄さんは下山の田んぼをやめた今も、畑と山の見回りは続けています。
 水力発電所の建設のときに牛がトロッコを引くために道が整備されるまでは、この場所で、自分達のつくり出したものと、自分達のいる環境そのものをいかに活かすかということが一番重要なことでした。そうしたことを絶対条件として原材料の供給という役割を果たしてきた人々にとっては、生活のすべてがこの手から生まれているということを実感として得られることは、何より重要なのではないでしょうか。虎雄さんは、「のんびりしているだけでは仕方がない」といいます。それはなによりも、若いころは発電所と山の仕事の両方を当然のようにこなしていた虎雄さんが、働いてこそ生活しているといえるのだという強い気持ちを持っているからこその言葉であるように感じられました。そして今も、できることなら人が活力ある生活をしている中で暮らしたいと考えておられるようです。
 写真撮影のとき、お好きなポーズでというと、虎雄さんは「じゃあ山を入れてくれ、俺は山師の格好で」と言われました。植林のお話のときに、動物は葉影を好んで歩く、と教えてくれた虎雄さんの言葉は、緑の山中を静かに進んでいく鹿達のとても鮮明で静寂に満ちたイメージを呼び起こしました。虎雄さんの中には山の中をひとり歩く時間が常に特別なものとしてあるのではないでしょうか。聞かせて下さったお話の基調として、まずなによりも山を仕事場としてきたことに対する誇りが感じられるのです。

  • 山の雄トラ

虎雄さん

居住地 三里地区 新倉
取材日 2001/12/06