上の衆の番人

 「こっちから向こうは誰も住んでないよ」と話し始めたひでおさん。集落の上の方は4分の3以上が人の住んでいない家だとか。「昔は祭りのおみこしなどもよその人には触らせなかったのに、今は下の衆ががんばってくれないと何事も成り立たない」と嘆いていました。かつては大抱院で上の子供だけで大規模な相撲大会なども行われたそうです。土俵を作る手伝いをしなければ出場できなかったので「子供達はみんな下の河原から砂袋を担いできた」という相撲大会の人気を伝える話も聞きました。
 ひでおさんはなんと高知県のお生まれ。その後、巡り巡って、昭和13年に横浜から親戚の住んでいた早川にやってきました。ひでおさんのお父さんは早川の発電所、横浜のドックなどで活躍した鍛冶屋の職人さん。お母さんは早川の出身です。発電所の仕事がひでおさん誕生の秘密のようです。やってきた当時は西山の湯治客も多く、ひでおさんも早川からトロッコで温泉に入りに行ったとか。当時の温泉の様子も聞きましたがここではとても書けません。映画の話も同様に書けない所もあるのですが、昔は茶十商店の横、その前は社宅前の広場で映画をやっていたのでよく行ったということです。上映途中にフィルムをつなぎかえるために真っ暗になる時間があるそうで、その間に○※●×◇△■……だったそうです。
 家にこもっていると心にとっても体にとっても良くないとのことで、毎日のように奥さんと車で買い物などに出かけるそうです。1回出かけると、だいたい100kmは走るとか。車の走行距離は8年間で19万kmという、とても元気なひでおさんでした。

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ひでおさん

居住地 三里地区 新倉
取材日 2001/12/03