透度高地点

 新倉で、初の旅館を始められたというのが、この川口屋さん。夕方のお忙しい時間に伺ってしまったにも関わらず、取材を快諾して下さいました。
 お生まれは、九州。その後、東京でお仕事をされていた千鶴さんが、早川に来たのは約30年前のことです。大原野の七面宮を参拝されたのが、きっかけでした。東京の喧噪を離れ、早川に移り住まわれて思うことは、その静けさの良さ。所用で、外に出られた帰り道、早川橋を渡りすぎた直後に感じる空気の透明度は、なんとも形容しきれない郷愛感であり、安心するのだ、とおっしゃっていました。透度高く、涼風心地よい早川の地。この早川を心底愛されているご様子をとてもうらやましく思いました。
 早川にいらした当初、人口は減り始めてはいたものの、それでも子供の声が聞こえていたそうですが、今では、それも稀なことになってしまいました。新倉は、昭和初期、映画館やパチンコ屋さんがあり、とても栄えていた地域です。そして、その頃ここに旅館をかまえたのが、千鶴さんの旦那さんのおばあちゃまだったのです。新倉銀座と書かれた看板を、不思議に思った千鶴さんが、そのことをお義母さんに尋ねたこともあったと、懐かしそうにされていました。東京電力関係のお客様が多く、2ヶ月から3ヶ月の長期でお世話していたそうです。美味しいものが好きで、よく食べに行ったという千鶴さんは、その舌の感覚で、お料理をお出ししました。
 お体を崩され、3年前から旅館業は休業という形をとられていますが、すらすらとお料理のレシピを教えて下さり、そのお仕事ぶりを思いました。暖かいおもてなしを信条とされ、お客様とも、宿と客以上の良い関係を築かれました。「過疎化が進む新倉は、地形的にも不利で、活性化は難しいかもしれない。けれど、早川のための協力は惜しまない。」そんな千鶴さんの言葉が印象的でした。千鶴さんをはじめ、"素敵な方"率の高い新倉です。

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千鶴さん

居住地 三里地区 新倉
取材日 2001/12/06
取材者名 奥津 直子