馬場のパイオニア

 現在、建設会社にお勤めの英雄さんは、昔は山仕事をしていました。山仕事といわれるものはとりあえず全部やったそうです。老平の先の奥沢から雨畑川上流の稲又までが主な活動範囲でしたが、ほかにも色々な場所でお仕事をされたそうです。植え付け、下刈り、草刈り、伐採、炭焼、運搬などなど。老平での運搬は、まず老平の4キロ先の土場まで、材木を架線で運びます。そしてそこからはトロッコ軌道で大島まで運んだそうです。トロッコ軌道は老平方面のほかに、雨畑川上流の稲又まであったそうです。英雄さんのような地元住民のほかに、当時は町外から出稼ぎで山仕事をしに来る人もいたといいます。民家を借りたり、会社の小屋に住んだり、色々大変だったそうです。
 林業が低迷すると、建設会社に転職しました。新しい仕事をまた覚えなければならず、大変だったと思われそうですが、転職後も建設業関連の資格を取りまくったそうです索道架設、重機、火薬などなど。今では型枠、組立、足枠組立など、建設の仕事なら全部覚えたといいます。林業においても、建設業においても、その圧倒的な知識や資格は、負けず嫌いの性格からきているそうです。新しい技術を誰よりも早く手に入れる。なんでもすべてできないと納得がいかない。そうやって仕事をどんどん覚えて今まで生きてきたといいます。
 趣味は登山と写真。登山に関しては、南アルプスの山はほとんど登ったといいます。写真は山菜や山桜、野菊、高山植物を撮るのが好きで、カメラは5台も持っています。また新聞を読むことも日課になっています。父が戦死したこともあり、読者の投稿により、戦争に関する議論がされている記事は毎日目を通すそうです。人の気持ちが出るのがおもしろいといいます。
 インタビューを通して、知識もあり、体力もある、そしてさらに優しさをも持っている、そんな印象を与えてくれました。

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英雄さん

居住地
取材日 2002/08/11
取材者名 遊佐 敏彦