故郷までの長き道のり

 昭和6年生まれの理男さんは旅から旅の生活を送ってきた。若い頃、職を求めて町を出て、早川町に戻ってきたのは3年ほど前。「早川町には70年の人生で合計20年くらいしか住んでないよ」。当時はサラリーマンになろうにも、町内で勤め人になれるのは長男ぐらいと相場が決まっていたそうだ。「次男坊で百姓にもなる気はなかったし」。「大工の真似事をあちこちでするようになって」ダム工事や大規模な建設現場で働くようになる。「最初の頃は夢も希望もなかったね」。それでも島根、福井、静岡、長野、ふたたび群馬、東京、埼玉といった順で都道府県を転々とし、67歳まで現役で現場仕事を続けていた。辛いことばかりではなく旅から旅の生活はよい社会勉強になって「結構、遊ぶことも覚えたよ」。
 現場生活を終えた後は、早川町に帰ってきて住むようになった。五十年近い時期を空けたために「集落のしきたりとかよくわからないこともある」けれども、「流れに任せてさ」気楽に生活しているそうだ。当然、生まれ育った場所への愛着もある。「むらのためになることはしたい。今奨励されてるヤマブドウも育ててるよ」。
 子供時代の記憶は結構鮮明で、いろいろ思い出はあるそうだ。「電車の枕木になるクリの木を探す山師とか来ていて賑わってたよ」。「おれのまわりじゃ川狩りの仕事、材木を川で輸送するものも多かったな」「川に流して引き揚げるのは男の仕事で、それを地面に並べて整理していくのが女の仕事だった」。貯木場に浮んでいる木を「子供は面白がって見にいくもんさー」、「浮んでて動く材木によくいたずらしたっけな」。終戦の間際には「海軍の兵隊が松根油(飛行燃料に使われていた)を欲しがってよくトラックで早川まで来てたよ」。山や林業に関することだけでなくて、裏山に祀られた『山の神』のお宮の縁日には「よく出店や露天が来て、飴やイカ足とか売ってたよ。子供相撲とかもやってたな」といったことも覚えている。
 取材後にに写真をお願いしたところ、「そうか、そしたらいい男にとってもらわないとな。ま、何もしなくてもいい男だけどよ」とか言いつつも鏡に向かって少し表情をたしかめる。この軽妙な性格が、早川Uターン者の強みだろうか。半世紀近くいなかった場所でも、ここで生まれ育ち、そして帰ってきた。旅から旅で得た知識や技術はきっと、ふるさとに活かせるだろう。

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理男さん

居住地 五箇地区 古屋
取材日 2002/03/03
取材者名 手塚 佳介