山が心を開いた男

 山の測量という仕事について、詳しいお話を聞くことができた。この仕事は、地図に誤りがないかどうかを、林務局の人と一緒に調べたりするもので、主に5月から9月の間に行われた。いったん山に入ると、3日から5日かかることもあり、道なき道を歩き、テントを張りながら山を登っていったという。時には、断崖絶壁にぶち当たることもあり、危険な目には何度もあったようである。清治さんに、この仕事をしていて印象に残ったことは何ですか?と尋ねたところ、「南アルプスの山々で、おとぎ話に出てくるようなお花畑を見て、ここで息絶えてもいいなと思ったことがあった。」という答えが返ってきた。これは本当に羨ましい限りで、清治さんは、山の厳しい面を見てきたからこそ、我々の知らない、山の美しさに出会うことができたのだろう。まさに、山が心を開いてくれた瞬間ではないだろうか。
 清治さんは、募集があったので、山に関する仕事に携わったが、同級生のほとんどは奉公に行っていたらしく、今でいう高校に行くのは、ほんの2、3人だったという。奉公もつらい仕事で、親元に前金が渡されていたので、本人は鼻紙代くらいのお金しかもらえなかった。また、休暇も盆と正月だけで、特に、盆に帰った時に行われる盆踊りは大変な盛り上がりをみせ、若者は、皆おしゃれして参加したという。
 ところで、清治さんは終戦後のシベリア抑留生活をはさんで、ハンドル人生六十年。なんと、木炭自動車前からの運転歴だそうだ。晩年は早川町のスクールバスの運転手を十年間やっていた。そして、現在は書道、絵画などを趣味とし、野菜も育てながら幸せな毎日を送っているようであった。

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清治さん

居住地 五箇地区 古屋
取材日 2002/03/02
取材者名 福永 香織