焼酎は湯飲みで

 メタリックな屋根の家の主人は78歳になる庄三さん。「この家は築100年くれえだなぁ。昔はここにいろりがあって、いろりを囲むように飯を食ったもんだ。貧しかったがそりゃにぎやかだったさぁ。息子の一人が大工で、しょっちゅういろんなところ直しているから、今でも住み心地は悪くねぇなぁ。まぁ茶でも飲んでくれ。」なるほど障子や大黒柱は今でも立派です。しかしなんといっても屋根。茅と麦の屋根からトタン屋根、そして現在のステンレスの屋根へとパワーアップしていきました。ステンレスの屋根はトタン屋根のように7年ごとのペンキ塗り替えの手間がないからええよ。
 庄三さんは生まれも育ちもここ古屋。古屋は五箇地区なので小学校は天久保まで毎日歩いてました。昔はここ古屋から薬袋へ至る道と、天久保へ行く道がそれぞれあったといいます。「今じゃぁ人も通らなくなったから、へー残ってるかどうかわからんちゃけー」雨で道が崩れることがしばしばあったそうですが、子どもが学校に通えるように、親が直してくれたといいます。若い頃は川崎の工場で働いたこともあったそうですが、終戦を期に早川に戻り、建設業のお仕事に就きました。その傍ら、民生委員や児童委員といった仕事もこなしていました。案内してくれた8畳間の部屋は、その表彰状や写真でいっぱいでした。お年寄りの介護や子どもの教育に貢献なさった様子が手に取るように分かります。
 天久保出身の奥さんと結婚した当時、お酒は配給だったので、結婚式などのためにどぶくろ(内緒の酒)が隠されていたそうです。「昔は金がなくても穀(食べ物)があれば生きていけた。養蚕もやった。畑ではあわ・きび・麦をつくってなぁ、田んぼもあったっちゃけー」古屋には早川町内では珍しい水田もありました。
 今は一人暮らしですが、週末には子や孫が遊びに来るか、自分から遊びに行くので寂しくはないといいます。趣味は植木と温泉。月3回は下部温泉に行くそうです。それ以外の日はだいたい家で焼酎を飲んでいるとか。「飲むけー」といってそれまで飲んでいた緑茶の湯飲みに焼酎をつぎたしてくれました。「こうやって飲んでると、茶飲んでるみてーで、誰も酒飲んでるとはわからんだろ、ほれ飲めし。」なるほど、焼酎の緑茶割りは結構おいしいです。

  • 焼酎は湯飲みで

庄三さん

居住地 五箇地区 古屋
取材日 2002/03/01
取材者名 遊佐 敏彦