養豚プロフェッショナル

 義忠さんは村会議員や民生委員、教育委員などを歴任してきた活動的な人です。そして奥様であるけさ子さんと、早川町で四十数年ものあいだ養豚を営んできました。養豚の収入で「四人の子供を育て上げた」ことを今でも誇りにしています。戦争から復員してきた後、甲府で数年間サラリーマンをしていた義忠さんは、早川町に住んでいたお祖母さんを甲府に引き取ろうと説得をしたのですが、お祖母さんはそれを断りました。その理由は「早川町の者が甲府に行ってもものにならないから」。お祖母さんを心配した義忠さんは早川町で同居するようになりました。そこで義忠さんが生計を立てるために選んだのは林業だったのですが、ある時早川町は養豚に適している場所ではないかとひらめいたそうです。甲府の周辺の街場で営むよりも、早川町の方がいい環境なのだそうです。
 豚舎を設置して親豚を飼うことから始まって、いろいろと試行錯誤をしたようです。もっとも大変だったのはお産の時、一晩中豚舎にこもりっきりだったこと。そしてもっとも注意していたのは、食肉業者の信用とよい評価を得ることだったそうです。いい豚だけが生まれるように、畜産試験場や他所の豚舎をたずねて研究をする日々が続いたこともありました。けさ子さんと二人三脚で年月を重ね、次第に多産系で肉質のよい豚だけが豚舎にそろうようになりました。出荷をしにいくと「あのおっさんが持ってきた肉だぞ!」と食肉業者が目の前に並ぶくらいの評価を得たそうです。養豚家の名前を聞くだけで、豚の質が大体想像できたというから、厳しい世界だったのでしょう。
 自分の経営が軌道に乗った義忠さんは、早川町の他の家にも技術の普及に走り回るようになります。その結果、最盛期には早川町で三十戸前後の養豚家が経営をするようになり、早川町の豚肉は市場で高い評価を受けました。「極上」の豚を何百頭も出荷したそうです。
 「養豚をするには、とにかく研究熱心でなければいけない」、そして「企業の精神を持たなきゃいけない」というのが義忠さんの持論。「企業の精神」とは「常に会計をはっきりさせる。どんぶり勘定じゃぁ、養豚はやれない。何をやるのでも、記録をとって研究しなきゃいけないんだ」。まさに養豚プロフェッショナル。
 いま義忠さんは奥さんと二人暮らしの生活に満足していると言います。「気楽に生活できるのが何より」とのこと。いま育てているヤマブドウは「豚のときみたいに一獲千金はねらえないけど、堅実に、企業の精神を持っていけばいい収入になる」と思っています。かつて養豚に注いだ研究の精神が今、再び燃え上がっています。

  • 養豚プロフェッショナル
  • 養豚プロフェッショナル

義忠さん

居住地 五箇地区 古屋
取材日 2002/03/01
取材者名 手塚 佳介