歴史と時代の流れの中で

 英明さんは初鹿島の歴史に詳しく、歴史とさまざまなつながりを持っている。川中島の合戦のとき、ご先祖様が武田側で戦い、討ち死にしたという記録が系図に残っていて、家には甲冑が今もあるとのこと。また、初鹿島のあたりでは、織田信長が城を築いたときの材木を選別していかだに組んで流していたという。

 こうした歴史の話も興味深かったが、最も印象的だったのは、英明さんも勤め上げた郵便局のお話だ。早川町には郵便局が5局あるが、そのうちのひとつ七面山口郵便局は、なにをかくそう英明さんのお父さんが国に請願して開局したものなのである。
 時は昭和6年、ほうっておけば郵便局など開いてもらえないこの土地に、英明さんのお父さんの働きで郵便局ができた。しかし、国に頼んで開いてもらった郵便局は請願郵便局といって、お給料をもらうどころかこちらが国にお金を納めなくてはいけない。当時としては大金の5円というお金を、お父さんは高利貸しから借りたりと工面して昭和12年まで納め続けた。昭和12年頃からは戦争の影響で郵便局の通信業務が重要視され、お金を払うことはなくなった。だが今度は忙しくてたまらなくなり、今のように残業手当もない中、働きに働いたのだという。
 英明さんは「人の評価は死んでから分かる。なにか後世に残るようなことをしなければならない」とおっしゃる。そして歴史上の偉人を何人か教えてくださった。しかし、英明さんのお父さんもそんな後世に残るようなことをした人なのだと思う。今でも七面山口郵便局は地元の郵便局として、人々の役に立っているのだから。

 英明さんは他にも、昔の初鹿島での生活の苦しさや戦時中徴兵されていたときの体験を踏まえて、人として大切なことをいくつも話してくださった。その中でも「真心」を持つことはなによりも大事だという。「時代は変わってく、でも人の真心は残る」多くの時代を生き抜いてきた英明さんの口からこう聞くと、自分の「真心」について省みずにはいられなかった。

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英明さん

居住地 本建地区 初鹿島
取材日 2002/08/04