「アツサで勝負」

 親子3代に渡って、大工さん。清重さんは、見るからに職人かたぎの風貌です。小さい頃からお父さんやおじいさんの大工の仕事ぶりを見て育ちました。清重さんが奥様とお住まいのお家も、3年を費やし、お父さんとおじいさんがお作りになったそうです。その際には、近所の方も手伝いに来てくださり、よく食事を一緒にしたものだということです。今は、清重さんがその改築や修理を手がけてます。お仕事柄特有の世代を越えた「いえ」の共有にうらやましさをやはり感じました。
 75歳になられたそうですが、なんと昨年までは現役。集落の住民宅もお直しになっていたそうです。腰を痛められた今は、大工のお仕事はされていませんが、畑仕事などをしながら奥様と生活されています。
 お若い頃は、何をされていたのですかとお聞きすると、「10年は、放浪旅行していたよ。」と、清重さん。「おおっと、なんですか、それ。」と即座に聞き返すと、実は、16歳から10数年、関東周辺で移動をしながらの大工業をされていたのだそうです。静岡や埼玉、東京と各地を巡りました。移動は多くありましたが、「そういう放浪が楽しかったし、けんかもなかった。世渡り上手だったのかもしれないね。」と笑って懐かしむように話して下さいました。移動先からは、決まって、早川の実家に手紙を出したそうです。ご家族の方も、あまりに色々な手紙の消印に、びっくりされていたことでしょう。
 庭先で、お話を伺っていたのですが、この時、清重さんが座っていたのは、何と、立て直す前の北小学校の椅子。清重さんご自身も、北小に通っていたそうです。当時は、小学校を「ほうろう」学校と呼んだそうです。何でも、「あつい」(暑い?熱い?)の意だそうです。熱い人生を歩まれた清重さんを象徴するようで、思わず微笑んでしまいました。

  • 「アツサで勝負」

清重さん

居住地 三里地区 早川
取材日 2002/02/21
取材者名 奥津 直子