ミセス・フラワー

 満子さんの出身は早川集落。その後若いうちに早川を出て20年程大阪で暮らしていました。いろいろな所に移り住んで、再び早川に戻ってきた時は50歳を過ぎていました。今の家に戻ってきて農業を始めたころは、体が慣れてないため大変だったとのこと。技術っていうより体が資本。「ここ(早川)の人たちは根性がある。」
 満子さんが今、早川に住んでいて思うことは空気がとってもいいということです。でもにぎやかなところが大好きな彼女にとって早川町の人口が減り、空き家が目立ってくると寂しくなると言います。
 今は腰を悪くしてしまった満子さんですが、昔は「花のある家」といったらこの家だと分かるくらい家の前の畑や庭を花いっぱいにしていたそうです。今でも玄関には堂々と花が咲く金のなる木があり、当時の「花のある家」を想像してしまいます。お花は副収入を兼ねた趣味だったそうで、額縁に納められたアザミやモクレンの刺繍などもとても印象的でした。
 また、満子さんは以前に農村婦人の生活研究会に入っていてまちおこしをしたり、どういう風にしたら農村の生活を続けていけるかというような活動をしていました。実際には蕗のとうのお菓子やおまんじゅうをつくって県内のスーパーに売ったり、国際婦人年の弁論大会に出席したりしていました。
 お話を聞いているうちに、以前のように「花のある家」と趣味に活発な満子さんを見てみたくなりました。

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満子さん

居住地 三里地区 早川
取材日 2002/02/22
取材者名 加藤 浩高