助け合いの生活

 春一さんの奥さんはちょうど大根を干そうとしていました。春一さんの奥さんは、昭和20年12月の大雪の日に下山からお嫁に来て以来、一生懸命働いたそうです。働き場所には、建設会社、給食センター、そして砂利工場などがあったそうです。
 現在は、高齢になったため、体が言うことを聞かないのでいろいろ大変だと言います。家の玄関先の段差も歩く際に障害になり、若いときと比べて、その大変さは雲泥の差だそうです。さらに、昔は、畑仕事や稲作をおこなうことで自給自足の生活をしていましたが、年をとってからはお米は買って食べていたり、畑の方も近所の人に貸しているとのこと。
 徐々に年をとってくると生活をしづらくなってくるその様子を僕たちに教えてくれました。

 そうこう話している間に、春一さんが玄関から出てきてくれました。
 春一さんは町の議員をしたり、町の役や集落の役でやったことのないものはないほど、いろいろな面で町のためにがんばってきたそうです。
 その当時のエピソードがひとつあります。ある日、非常に強い風が吹いていました。早川橋はその頃まだ吊り橋で、非常に揺れて渡れない状態でした。そこで、春一さんは吊り橋を通らず、迂回して集落に戻ってきました。すると、集落に戻った直後、通った道が山崩れを起こしたそうです。奥さんは非常に心配しました。しかし、春一さんの無事を見て、春一さんは非常に運がある人だと思ったそうです。

 春一さんも奥さんも最近体調が優れず、大変だということですが、助け合いながら生活しているんだなと感じました。

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春一さん

居住地 三里地区 早川
取材日 2002/02/21