道があるなら。

 子供の頃から一緒に成長されたという完一さんとつね子さん。随分昔からのお付き合いになのですね。体調が芳しくないというつね子さんを気遣い、完一さんは畑仕事やお庭仕事、そして、奥様の身の回りのことに気を配り、お料理もなさるそうです。つね子さんに、「作って下さるお料理で一番美味しいものは何ですか。」と伺ったところ、「みんな美味しく作ってくれますよ。」と、選ぶのが難しいのだと言うように答えて下さいました。お米や野菜を作り、自給自足の生活が何よりだとお二人はおっしゃいます。美味しい食材を美味しく料理する。でも、そうした生活の背景には、こまめな土の手入れと丁寧な気持ちがあるのでしょう。
 完一さんは、終戦までの長い間、兵隊として各地を転々としました。国内の麻布や青山の他にも、フィリピン、シンガポール、中国といった国外での任務も多くされたそうです。完一さんの2人のご兄弟も、やはり招集されましたが、全員ご無事に、帰還。つね子さんもほっとしたと当時を振り返っておっしゃいます。長い離ればなれの生活は、心配も多くあったそうです。お互いの安否は、手紙のやり取りを通して、確認したそうです。今は、こうしてお二人揃って生活されている、その意味は、平和であると見落としがちですが、何よりのことなのです。
 つね子さんは、以前、大正琴をおひきになっていたそうです。綺麗に整えられた庭や、農業を楽しむことなど、生活を彩る術をたくさんお持ちのご夫婦が、とてもうらやましく思えました。
 「欲張ってしまってはいけない。」そして、「道があるから大丈夫。」とは、つね子さんの言葉です。欲張るように急いで結果を出そうとはせず、目の前にある道をしっかりと歩いていけば、行きたいところには着けるのだ、という思いがそこにはあります。
 陽当たりがよい、早川集落。ふきのとうも顔を見せ始め、明るい陽射しが差し込んできます。この日も、晴れた見晴らしのよい風景の先に、変わらずに長い道が続いているのを、鮮明に目に映すことが出来ました。

  • 道があるなら。

完一さん つね子さん

居住地 三里地区 早川
取材日 2002/02/22
取材者名 奥津 直子