川で遊んだ子ども時代

 はつえさんは、中学を卒業したとき、甲府に出ていったのですが、おかあさんの具合が心配なので保に戻ってきました。
 子どものころのお話。小学校5年生の時、保の大火に遭いました。火が山を舐めるように、地をはうように燃え続けていたのが忘れられません。都川小学校では、地元の子のほかに、東京から疎開してきていた子どもがいました。みんな仲が良く、新聞配達などをしました。家の手伝いでは、下の子の子守りや草取り、麦踏みなどをしたものです。麦踏みは、学校で「よその家でもしましょう。」と言われ、子どもたちはいろいろな家で麦を踏みました。こういう手伝いは、みんなで集まってできたし、楽しみでもありました。
 遊びの舞台はなんといっても川。ちょっと下流のところに、子どもが何人も登れるような大きな岩がありました。水は真っ青で、川で泳いで体が冷えるとその岩に登り、暖まったらまた泳ぐ。それから、魚もたくさん棲んでいて、石も持ち上げるとカジカがいたし、箱メガネで川をのぞいて、手づかみでも取れるほどでした。河原には松の木が生えていて、その木の下で、残念ながらマツタケではないのですが、ハツタケやシメジなどをよく採ったものです。河原茱萸もあり、粒は小さいのですが霜が降りるととても甘くなるので、それを採ってきて塩を振って食べたりしました。
 -お話を聞いていると、本当に楽しそうですね。「昔の話をするのは楽しいよー。でも、今はそういう昔の話をして、そうだったねー、と言いあえる相手がいないので寂しい。同級会も行かなくなったからねぇ。」保でも、同級生はもういません。
 はつえさんの話の中の早川は、子どもを目一杯遊ばせる、幸福な川に思えました。

  • No Image

はつえさん

居住地 都川地区 保
取材日 2001/08/30
取材者名 柴田 彩子