一緒に山へ

 良作さんは細稲で生まれて細稲で育ちました。8人兄弟の長男なので跡を継ぎ細稲に住み続けています。この集落では最も長く住んでいます。小学校は現在のヴィラ雨畑の場所まで6年間通いました。当時は小学生が100人くらい、稲又にも遊び相手が10人くらい友達がいてとても賑やかだった言います。小さいときからお父さんとよく山に行き、山でよく遊びました。山の道は自分で木を切って作りました。高等科を出ると本格的に父から山仕事を受け継ぎました。山で切った木や山小屋で作った炭を山から下まで架線で運び、そこから幅1m50長さ3m位の大きさのトロッコで本村まで運びました。本村で木や炭を売り生計を立てていました。おとうさんの手伝いで養蚕もやっていました。ですから、築100年以上も建つ家や今は物置として使っている離れには養蚕の面影が残っています。
 昔、この集落の下に腰ぐらいの深さの川があって家のすぐそばに川に下りられる道がありました。「子どもの時は川でよく遊んだねー。泳ぎもしたし、釣りもした。水が多い時は竹で作った逆さ籠を使ってカジカを捕まえるんだよ。」と言いながら、良作さんが作った籠を見せてくれました。その籠を今はもう使うことがありません。上の方にダムができてから川の水が減って川の風景ががらりと変わってしまったからです。それでも釣りが好きなので上流の方へ春先から秋口にかけてヤマメを釣りに行ったり、雨畑湖へ鯉を釣りに行ったりします。釣ってきた鯉を湧水を利用して作った立派な池で何匹も飼っていました。この辺は昔っから湧水が豊富で、飲み水として使えるほどきれいだし、畑に使えるほど十分な量が湧きます。そんな恵まれた湧水の中を鯉は悠々と泳いでいました。
 良作さんは熱心な趣味を持っています。それは昔から作っている蜂蜜です。ハチを飼って文蜂して、寒いときには砂糖水を吸わしてやったりします。昔はこの集落にも他に蜂蜜を取る人がいましたが、今では良作さん一人です。一年に一回、秋口に網を被り竹のへらを使って蜜を取ります。一つの箱で2升から3升蜜が取れ、その箱を7,8箱持っています。沢山取れた蜂蜜は売れば5合で1万円もするものを家族や親戚や友達に全部分けてしまいます。「喜んでくれるのがうれしいんだよー。これを飲めば風邪をひいてもすぐ治っちゃうよ」と言って僕たちにも温かい蜂蜜ジュースを出してくれました。
 良作さんがとても楽しみにしてることがあります。良作さんが大好きな山に大好きな孫と一緒に行くことです。今は一番上の孫でも5歳なのでまだまだ一緒に行けませんが、大きくなった孫と一緒に山に入れる、そんな日も近いのではないでしょうか。野菜作りが生きがいの奥さんと孫の成長を待ち望んでいる良作さんと犬のコロが住んでいるお宅が大自然の豊かな恵みを丁寧に受けた集落にありました。

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良作さん

居住地 硯島地区 稲又・細野
取材者名 2001/08/30