ごんべえおばちゃんの夕御飯

 上湯島を歩いていると、八百屋で買い物をしながら世間話に興じるおばちゃん二人に出会った。何も話すことはないよと言いながらも道ばたに腰掛けたおばちゃんたちと、のどかな青空の下での取材が始まった。

 現在の上湯島は15軒ほどある世帯のほとんどが一人住まいである。集落内には空き家が目立ち、畑も少なくなってしまった。ふたりのおばちゃんも一人暮らし。昔は畑で作っていた野菜も最近では八百屋で買うようになった。
 そんな上湯島も、昭和40年代前半は人口も多く、部落に活気があったそうだ。というのも、当時は役場や発電所、編み物工場や電機工場など働く場所が多かったからである。しかし生活は大変で、おばちゃんたちも稼ぐために様々な仕事をした。「百姓をして、合間に小遣いとって、」ということを皆していたそうである。
 現在の西山農園のあったところに昔は中学校があって、上湯島にも商店があった。いわゆるよろず屋さんで、子供達もノートや文房具をよく買いにきた。PTAが集会のためによくやってくるので、けっこう繁盛したそうである。
 もう少し時代が遡って昭和30年代には、植林とその合間に焼畑をしていた。上湯島から早川を挟んで向かいの斜面はずっと畑で、そこに植林をし、伐採後の荒れ地を焼いてムギやアワ、大豆や小豆などを育てていた。しかし材木が売れなくなって、放って置かれるようになったそうである。
 おばちゃんたちが小さい頃は、お手玉やビー玉や石蹴り、コマ回しや竹馬などをして遊んでいた。子供の代までは川で泳ぐこともしていた。ところが、学校にプールができてからは川で泳ぐこともなくなったようである。現在では学校もなくなり、子供もいなくなった。

 おばちゃんたちにとって八百屋での買い物の時間は顔を合わせるのによい時間だ。そこで近所のおばあちゃんの様子も知ることができる。そして、たわいない世間話をしながら笑っているのがよいのだと、おばちゃんたちはいう。どんどん人が減っていく上湯島だが、おばちゃんたちの落ち込まない前向きな様子はとてもさわやかだった。
 けっきょく、最後まで名前を教えてくれなかったおばちゃんたち。「名無しのごんべえさんでいいよぉ」と苦笑い。写真は、ごんべえおばちゃんたちの夕御飯の材料である。

  • ごんべえおばちゃんの夕御飯

ごんべえおばちゃんたち

居住地 西山地区 上湯島
取材日 2002/08/27