わたりぞめをした幸一さん

 幸一さんは、徳江さんと二人暮し。「上湯島・下湯島は田舎だから人も丸いし、親戚みたいに仲がいい」というお二人は、とてもひとあたりのよい方達でした。
 幸一さんのご両親は、豆腐屋さんをしていました。場所は西山温泉の近くにあったそうです。その豆腐はとてもおいしく、温泉のお客さんがよくかったそうです。また正月などは、西山の人たちがお豆腐を注文したそうで、歩いて配達したそうです。
 そんな豆腐屋さんの子どもだった幸一さんは、上湯島で育ちました。法雲寺の上の方には土俵場といわれる場所があり、そこでみんなで遊んだそうです。また柳の枝をきって、刀にみたてて、ちゃんばらごっこをしていたそうです。
 戦後は東京電力に入社されてずっと働いてきました。機械の手入れや、操作などをしていたそうです。はじめは榑坪の寮に入っていたそうです。なかなか上湯島に帰ってくるのは大変だったそうですが3交代制で、夜勤を2日すると休みを何日かもらえるので、そのときにバスに乗って帰っていました。帰るときはうれしかったでしょうね。
 そんな幸一さんと徳江さんに、上湯島の昔の様子をうかがいました。昭和25年ごろまでは、切り替え畑(焼畑)をしていました。その後は、切り替え畑も植林に変わっていったそうです。いま杉が生えているところはほとんど畑だったそうです。急な斜面に杉が生えていますが、そこも畑だったと思うと当時の農作業の大変さを感じました。上湯島には、電源開発や道路工事のための飯場があり、現在の西山農園から上がったところに、簡単な住まいなどがあったそうです。そこではお父さんの豆腐も売っていました。
 今とは、ずいぶんと様子がちがう上湯島で幸一さん一家は、豆腐屋さんのご両親も、幸一さんの夫婦も元気で暮らしていました。そのかいあって新春木川橋開通のときは、その安全を祈願して幸一さん3代の夫婦が橋を渡る”わたりぞめ”という儀式をしたそうです。
 みんな健康な家系の中でも、幸一さん夫婦はとくに今も元気です。これからも健康に気をつけて長生きしてくださいね。

  • わたりぞめをした幸一さん

幸一さん 徳江さん

居住地 西山地区 上湯島
取材日 2002/08/27
取材者名 榎本 創