上湯島のナイチンゲール

 春野さんは我々の突然の訪問を温かく迎えてくれました。そんな春野さんは早川町内の診療所に勤め、実に40年以上も発電所の職員をはじめ多くの町民の健康を守ってきました。
 地元の学校を卒業した後、看護婦を目指し単身下湯島から横浜に上京。「知り合いが看護婦をやっていて父の強い勧めがあった。その時代は、女性が上京し看護学校に行くのは珍しかったんじゃない?」と当時を振りかえります。
 横浜に行った最初の頃は、慣れない都市の環境と言葉に悩み、その上ホームシックになり寄宿舎でよく泣いていたので「泣き坊」というニックネームが付けられたそうです。その後、看護婦として病院に勤め、外科の看護主任にまでなりました。そんな春野さんにある時、結婚の話が舞い込んできて、悩みに悩んだあげく上湯島に嫁いできました。最初の頃は、家事や農作業に慣れていなかったためとても苦労したそうです。その頃の趣味は専ら編み物でした。
 その後4人の子供を儲け、子育てが一段落し、看護の知識を活かし町の診療所に勤めました。そんな春野さんは70歳になるまで仕事を続けられ、5年前に引退されました。「看護の仕事を70歳まで仕事を続けることができてよかった」、「一番楽しく充実していたのは子育ての時でした。自分の経験から自分の子供達が進学のため家を出る時は寂しかった」と話されていました。現在、静かで平和な日々を送っています。
 我々が取材を終え帰る際に「お大事に」と挨拶されました。そんな上湯島のナイチンゲール・春野さんが大好きです。

  • 上湯島のナイチンゲール

春野さん

居住地 西山地区 上湯島
取材日 2002/08/25
取材者名 南雲 孝雄