早川 -子供の昔話-

 光男さんは、生まれも育ちも上湯島というバリバリの上湯島っ子。昭和23年生まれとは思えないほど若くてかっこいいな、という印象を受けました。
 色々な話を聞くことができましたが、個人的に興味を持ったのが子供クラブのことでした。現在では2つにまで減ってしまった小学校も、当時は6つもあり、小学校1年生から中学校3年生までの子供が、男女別々に加入していたそうです。加入といっても、そのための手続きや儀式があった訳ではなく、あくまでも自然発生的なものでした。子供たちは、リーダーの言うことを聞きながら、天神祭、運動会などの行事を率先して行っていたようです。光男さんは、中学の時野球をやっていたそうですが、当時は大きな大会が近づくと、臨時に集まったメンバーで練習をしていました。
 この他にも早起き会(朝早く起きて体操をする)や道の清掃などもありましたが、光男さんはじめ、他の子供たちも嫌がらずに参加していたのは、その後のゲームや遊びが励みとなったからではないでしょうか。この子供クラブは、過疎化により、子供の数が減ってしまったために、10年程前になくなってしまったそうです。子供クラブが参加していたお祭りなども、人が減ってしまったことによりできなくなってしまいました。光男さんに、現在の子供と当時の子供はどこが違うと思いますか、とおたずねしたところ、現代の子供には、テレビゲームなどの普及による影響が大きいのだろうとおっしゃっていました。確かに光男さんが子供の時の遊びというのは、現代の子供たちにはなじみの薄いものばかりでしょう。早川から去っていく人も多いなかで、昔の早川の様子を語れる光男さんは、大変貴重な存在であると思いました。

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光男さん

居住地 西山地区 上湯島
取材日 2002/08/29
取材者名 福永 香織