面倒を楽しむ

 義郎さんは上湯島生まれの69歳。30歳から山梨県企業局の西山発電所で取水口の調整・管理の仕事をしてきました。60歳で定年退職した後も67歳になるまで非常勤で働いていたそうです。取水口から取り入れる水は多すぎても少なすぎてもだめなので、監視カメラのない時代には常に見回りをしなければならず、除塵機で取水口の掃除をしたり、水門を調整するのも大変だったそうです。県営の早川水系発電所は既に莫大な総工費も完済しており、毎年、相当な実利益を生んでいるそうですが、最近では自然保護の観点から川に水を戻そうという動きもあって、なかなか難しいと言っていました。
 発電所での仕事をやめた今では、畑仕事や家事などの小さな仕事を手伝うのが楽しみだそうです。今は焼畑もしないから野菜も採れる量が少ないけれど、味はいいし、人づきあいもたくさんあって、一軒の家を構えてるとそれだけで日々忙しく、そういうことが今の生活の糧になっているのだとか。
 義郎さんが若い頃、この辺りでは春から夏には養蚕を、秋から冬にかけては炭焼きをして生計を立てていたそうで、暖かい時期には桑畑から毎日、雨の日も風の日も桑の葉を取り、できた糸を早川橋まで(現在の道でも30kmほど。当時は山道だった)歩いて持っていったのだそうです。また20歳頃までやっていたという白炭の炭焼きは、まずは山に入って良い木が生えている所を探し、見つけたらその下に石を積んで高さ1.5m、幅2.5mほどの大きな炭焼き窯を作り、そこに切った木材を降ろして焼いたそうです。炭に適した木がなくなるとまた移動して、その都度、窯を作り直すというのですから大変です。それでも、雑木は2、30年もするとまた生えるので、時には前に誰かが作った窯が残っていることもあって、そういう時はそれを利用するのが習わしだったとか。当時、白炭は需要が高く、また上湯島から北へ上った西山温泉では特に旅館で重宝されたので、作れば作るだけ買い上げてくれたそうで、義郎さんは父子二人で大きな麻の袋に炭を詰め、大雪の中でも毎日運んでいったのだそうです。当時は今とは生活が違うから「からだが頑固(丈夫)だった」し、何10cmも積もった雪の上を重い荷物を持って歩いても「たいしてえらい(大変)とは思わなかった」そうですが‥‥いやはや、とても私たちにはできそうにありません。
 そんな義郎さんは、今でも薪でお風呂を沸かします。もちろんガスも使えるのですが、やっぱり薪の方が火が残るので冷めにくく、気持ちが良いのだとか。集落の中でも、もう80%くらいは灯油かガスだそうですが、「チェーンソーがあるから薪を割るのも楽なもんだし、ひとつの『ぜいたく』だと思ってる。」そう語る義郎さんには、先代から受け継がれたのであろう、面倒なことを楽しむ力が、今もみなぎっているように思えました。

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義郎さん

居住地 西山地区 上湯島
取材日 2002/08/26