板草里ライフ

 治雄さんは、板草里で6人兄弟の中で育ち、16才から立川の飛行機工場で働き、戦後は早川でじゃり採取の仕事をしていました。
 賜枝さんは、千須和で育ち、子どもの頃は広い場所がなかったこともあり、なわとびやむくの実を使っておはじきをしていました。夏には、親の手伝いでする草取りの休憩時間に、川で泳ぐのが楽しかったそうです。あのころの子どもは、親の言うことはちゃんと聞くので、休憩時間が終わるとすぐお手伝いに戻りました。結婚されてからは、賜枝さんは旅館で働いたり、しょいこで50~60キロの荷物をかつぎ、7時間ぐらいかけて七面山に登るお仕事もしました。
 賜枝さんが嫁ぐ時は、板草里の治雄さんの所は山を広く持っているから、木をたくさん売ることができていいねと言われたそうですが、昭和30年代から木が売れなくなりました。
 現在はヒノキなどの枝打ちをしないため、いい木にはならないし、フジが巻き付いて木が死んでしまうようです。治雄さんは、「山が荒れている」と寂しそうに言います。また、木を育てるには、下草を刈ったりいろいろ大変で、子育てと同じとも。その山からは、薬草も採っていたそうです。
 治雄さん宅は、ちょっと前までまきを使ってお風呂を沸かしていました。まきを使っているため、お湯が長い時間温かかったようで、名残惜しそうです。今も、強い火力が必要な豆料理には、まきを使います。そのため、今でもたまに落ちている枝を拾っています。
 板草里は、角瀬からいくぶん登った所にある集落で、昔は雪が降ると、赤沢の人たちとともに角瀬までの道を、板と棒でつくった道具を使い人海戦術で除雪したそうです。現在は家が5軒から3軒になってしまったため、除雪作業も町がするようになりました。お子さんが戻ってくる予定もないため、私たちでこの家が最後になるかなとおっしゃるのが、とても寂しく感じました。
 でも、じゃり採取の仕事をしながら、山の管理と木の伐採、シイタケ栽培と、とにかくなんでもやって全力で子育てをし、その3人の子どもたちが大学を出てマイホームを持つまでになったことをとても誇りにしており、心動かされるものがあります。
 そんな治雄さん宅の玄関には、大きな杉の柱がそびえ、部屋の窓からは七面山が一望できる素晴らしいお家です。そんなお家とともに、心優しいお二人が末永く板草里ライフを満喫されることを祈っております。

  • 板草里ライフ

治雄さん

居住地 本建地区 高住
取材日 2002/12/12
取材者名 渡辺 賢