これからの早川

 榑坪公民館の脇を通り、坂をだいぶ上っていったところに清勝さん、はるさんのお家はあります。
 アポなしでの突然の訪問にも関わらず、お二人は快く取材を引き受けてきました。

 清勝さんは榑坪に生まれ、戦中に横須賀の海軍工廠に行っていた時を除き、早川町内でお仕事をされてきたそうです。昭和40年からは雨畑のダム建設に携わり、ダム完成後は管理人として定年までお仕事をされました。

 一方、はるさんは畑で旬のお野菜を作ったり、養蚕もしていました。山の急な斜面に桑畑があり、枝つきの桑の葉を背負子に60kgほど背負って山を下ることは想像を絶するほどの重労働だったそうです。「その後遺症が足の関節に今、出てしまってるのよ」と穏やかな笑顔を浮かべながら話してくれたはるさんのお顔は本当に素敵でした。私も半世紀後にはるさんのような素敵な笑顔が似合うおばあちゃまになれるように頑張ろう!と心に誓いました。

 清勝さんはこれからの早川の問題について、とても真剣に考えられていて、過疎高齢化からおこる様々な問題、合併の問題などについて意見を述べてくださいました。早川町はすでに旧6村の合併を経験しており、合併の問題は短期のメリットやデメリットに執着することなく、次の世代、世紀まで考えた長いスパンで考えていかなければいけないことを知っているはずなので、それを生かすべきだとおっしゃっていました。事実、榑坪を含む五箇は合併時は人口も2番目に多く、農業収入なども多かったので、当時はあまり合併のメリットがありませんでしたが、人口の激変や作物価格などの問題もあって、今はあの時の合併が功を奏してると思っている方が多いようです。

 過疎高齢化と町財政を好転させていくためには、若いIターン者が必要ですが、ただ田舎の生活に憧れて来るのではなく、それなりの自覚と技術を持ってこなければ困るともおっしゃってました。集落では皆で協力しあって、暮らしているので、水源やゴミの問題などをきちっと皆と共有できる人でなければ、Iターンは難しいのでは・・・とのことでした。やや厳しい意見のようにも聞こえますが、これも本当に榑坪の集落を、そして早川町を愛し、町の今後を真剣に考えた上でのお話なので、聞いている私達もとても嬉しく背筋が伸びる思いでした。今後も清勝さんの地域への貢献を心から期待しています!!

  • これからの早川

清勝さん はるさん

居住地 五箇地区 榑坪
取材日 2002/08/07
取材者名 原田 絵美