何年モノ?

喜一さんは左官業を営まれていたお父さんの影響もあり、若い頃には甲府でお父さんの弟弟子にあたる方について修行されたそうです。その後、独立してバリバリとお仕事をされ、榑坪の集落にも喜一さんが塗った壁が残っているそうです。

 そんな喜一さんのお家は集落に大火があった後に建てられたもので、およそ築100年!その上、家の梁や柱に使われている木は他の集落の家が以前使用していたものを用いたので、何年モノか知ることは難しいようです。喜一さん宅では、現在でもお風呂は薪で燃やしていますが、お台所は以前土間であったところを数十年前に改築されたそうです。お台所の天井は3段階に構成されており、改築時に大工さんを困らせたものなんだよ、というエピソードも教えてくださいました。また、土間の片隅には井戸があったそうですが、水質の問題もあり、現在は使用されていないようです。

 家の隣にはお父さんが建てられたという立派なお蔵があって、その中を案内してくださいました。おばあさまの嫁入り道具の桐のタンスやアンティークのお盆などがあり、思わず見入ってしまいました。歴史記念館等ではなく、現在も実際に使われているお蔵に入ることは私にとって初めてのことだったので、迷惑かな・・・と思いつつ、いろいろなことを伺ってしまいました。

 お蔵から戻ってきた後には、子供の頃のお話もしてくださいました。榑坪の小中学生は五箇小学校まで片道4km近くの道を通っていたこともあり、足腰が強くて陸上競技会やスポーツ大会ではいつも良い成績を修めていたそうです。七面山を2時間で登り、下ってしまったというツワモノもいたとか、いないとか・・・。また富士見山にとてもおいしいことで有名な栗の木があり、秋になるとみんなで競って上ったそうですが、枕木に使うためにどんどんと伐採されてしまったようです。お話を伺っていて、私も是非食べてみたかったなぁーと思ってしまいました。

  • 何年モノ?

喜一さん

居住地 五箇地区 榑坪
取材日 2002/08/08
取材者名 原田 絵美