戦闘機を組み立てていたおばあさん

 やねこさんは、現在ひとり暮らし。でも、東京や県内に住むお子さんたちがお孫さんを連れて遊びに来てくれるそうです。近くの畑で自分の食べる分の野菜を作り、よくできた野菜をお子さんにあげると、喜ぶ顔がうれしいそうです。
 若い頃は紡績の仕事で静岡の方に住んでいたやねこさん。戦中は紡績の仕事から戦闘機をつくる仕事に回され、三菱の工場でイチマルサン(キ-103試作襲撃機か?)を組み立てていたこともあります。戦局が悪化してくると、発動機は週に1台しか来ないときもあったそうです。空襲にも遇い、防空壕が崩れたこともありました。怖くなって、いろいろ理由を言って、終戦前に早川町に戻ってきたといいます。
 角瀬地区がご実家で、戦後、畑のたくさんある榑坪にくれば食べていけると、お嫁に来たそうです。その頃はトオヤマと呼ばれる山の上の遠くの畑へお弁当をもってでかけ、小麦や大豆を作っていました。終戦後3、4年はブツコウといって、畑でとれた大豆や麦を魚やリンゴに物々交換していた時期があるそうです。トオヤマは昭和50年頃まで耕作していたそうです。小麦を作っていた時期は毎日うどんを食べていたといいます。
 その戦中戦後の苦労した時期のことを思えば、今の生活の中で、これでいいのかな、もったいないな、と思うことがあるそうです。
 榑坪上組はかつて16軒あったそうですが、今では5軒しか住んでいないことを寂しく思っています。畑も斜面が急で体にきついといいます。サルやイノシシが畑を荒らすのも困りものです。ただ、どこより日が当たってヌクトユイ(暖かい)ことがこの地区のいいところ、といって微笑んでいらっしゃいました。

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やねこさん

居住地 五箇地区 榑坪
取材日 2002/08/06
取材者名 小笠原 輝