ズドンと一発!!

 お宅にお邪魔すると一際目を引く鹿の剥製。これは昔、幸知さんが仕留めた獲物。この他にもイノシシやクマを撃ちに早川から身延までも足をのばしたそう。クマは皮をなめして飾ったり、肉は冬には脂がのって香ばしく美味しかった。また、この脂は“熊油”という火傷の薬になったらしい。胆も薬として飲んだとのこと。乾燥した熊の胆を見せて頂いた。「こりゃこのままじゃ苦くて、オブラートにでも包まなきゃ飲めないよ」とのこと。良薬口に苦し。先人の知恵には頭が下がる。
 小学校・高等小学校と1時間以上かけて雨畑まで通った。当時はメンコやゴムカン(パチンコ)をして遊んだり、他人の家の柿を採ったり、木に登っている間に履き物を持っていかれて困ったこともあったと笑いながら話す。その後は、軍隊に召集され3年と少し従軍した。満州で対ソ戦線につき、終戦前に千葉県の館山へ。内地にいたから帰って来れたんだと当時の様子を語る。
 戦後は営林署で大きな木を切り出し、植林をしたり、炭焼きよりも儲かるシイタケを栽培したり、畑も作った。当時のシイタケは菌がなく、駒というものを打ち込んだ。また、ヤギを飼って乳を搾ったり、ウサギを飼い、その糞を肥料にした。よい肥料になって収穫もよくなった。その後は、家の2階や、向かいに鉄骨を立てて養蚕をし、桑を背負子であげた。「背負子がお守りのようなもの」。背負子は、大島から食糧を運んだり、炭を運んだりと必需品。「冬、雪の中、大島から食糧を運ぶのは、そりゃ大変だったよ」と一言。当時の生活の厳しさをかいま見る。その後、山梨県の林業公社に入り、長年の間、林業にたずさわる。
 お家は、長年の間、囲炉裏の煙で燻され、いい色を出している。「よく火事にならなかったものだ」と幸知さん。これには時の流れを感じる。現在は堀コタツとして使われている囲炉裏だが、そこで使われる炭は幸知さんのお手製。「まだまだ10~20年分はあるよ」と笑った。
 まだまだ自然豊かな久田子。風穴もあり、夏でも10~15分もいられない位涼しく、冬は何でも凍るほど。以前は冷蔵庫代わりとして使われ、蚕の卵を入れたり、「水を一升瓶に入れて風穴に入れておくと、何とも言えなかったですねぇ」と笑いながら教えてもらった。
 山の恵み、自然の恵みをいっぱいに受けた生活、また幸知さんの人としての厚みに憧れます。
 現在は引退されている幸知さん。いまはお家の周りの草取りなどをして過ごす日々とのこと。いつまでもお元気でいて下さい。

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幸知さん

居住地 本建地区 角瀬
取材日 2002/08/29
取材者名 鳥原 弘達