久田子の総合エンターテイナー

 明晴さんは生まれも育ちもここ久田子。8人兄弟の長男。現在は集落の区長代理をしています。
 昔はわら草履をはいて、家から4km離れた硯島の小学校に通っていました。当時の遊びはと言うと、メンコや川遊び、山遊びが主でした。近くの川では、カジカなどの魚を手づかみで捕っていました。その他に正月になると、地元の寺でくじ引きがあり、その場で餅や団子・飴などの景品がもらえたので、明晴さんは心を躍らせていたそうです。また中学校も硯島にあり、ソフトボールをやっていました。「だいたい小学校3年生くらいから、水汲みや薪割りの仕事を任されるので、放課後になるとすぐ家に帰っていました」と明晴さん。この当時の久田子の世帯の大半は、炭焼で生計を立てていて、35年前まで続いていたそうです。高校生になると、東京の多摩川沿いにボート屋を経営している叔父さんを手伝うために、上京。終戦直後ということもあり、高校に通わず、朝から晩まで仕事をしました。唯一の楽しみは、週末に行く映画で、渋谷や蒲田によく行っていたそうです。
 その後、三年東京にいて、久田子に戻りました。27才の時に結婚。結婚後すぐは大工の仕事をしていました。その次に、カーステレオや無線の基盤をつくる電子基盤組み立て工場に長く勤められ、工場の責任者にまでなりました。そして10年くらい前から砂利工場に勤めています。
 明晴さんの器用さは仕事の中だけに留まりませんでした。昔から漫画を書くのが得意で、店の広告の絵を描いていたそうです。さらに手先の器用さを活かし、最近、ねむの木製のフクロウの工芸品づくりを初めました。近い将来、このフクロウの工芸品が早川町の代表的な名産品になる日を夢見て、今日も夜遅くまで作業が続きます。「ものを作っている時は、時間を忘れてつい熱中してしまう。だから睡眠時間を削っても全く苦になりません」と明晴さん。彼の豊かな才能はカラオケの世界でも発揮されます。カラオケ好きが高じて、家の裏にカラオケ練習場を作ってしまいました。その甲斐もあり、全国の大会で優勝を重ね、家にはトロフィーがたくさんあります。
 無限に広がる明晴さんの創作意欲が早川町を変えるかもしれません。請うご期待!

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明晴さん

居住地 硯島地区 久田子
取材日 2002/08/30
取材者名 南雲 孝雄