七面山のこびき

 今日は水曜日。五四郎さんの週1回の休日だ。勤め先は七面山。架線で上がってきた荷物を、敬慎院へ運ぶ仕事をしている。架線の担当は3人いるが、2人は山の下で仕事をしているので、山の上にいる担当は五四郎さんただ一人だ。生活必需品を運び上げる大事な仕事なのであまり休めない。
 五四郎さんは、25歳の時から七面山で働いているが、以前は木挽き(こびき)をやっていて、さらにさかのぼって勤め始めた頃には、炭焼き担当だった。
 そもそも、五四郎さんが七面山に勤めるようになったのは、七面山近くのブドウ平という所で、五四郎さんとお父さんが炭を焼いていたことがきっかけである。そこで焼いた炭を七面山に買ってもらったりするうちに、「七面山で炭を焼いてくれないか」ということになったのだ。そうやって七面山で炭を焼いていた所、お堂の改修工事に来ていた身延の木挽き職人さんたちに「やってみないか」と誘われて、木挽き職人になった五四郎さん。七面山の風呂桶も2つ作ったし、日蓮聖人の700回忌に久遠寺の本堂を建て替えた時には、身延山に生えていた大きな杉の木を、幅1m、長さ15mの梁に加工したりした。
 七面山での仕事は泊まり込みで、時には奥さんが恋しくなることもあった。そんな時、五四郎さんは七面山の頂上へと登る。久田子の集落から七面山の頂上が見えるように、山の頂上からも久田子が見えるのだ。自分の家の屋根を見て、五四郎さんは寂しさを紛らせた。そして、山から下ってきて、久田子を見下ろせる峠まで来ると、夕食のほうとうの匂いが漂い、五四郎さんの家の犬が鳴いたのだという。
 そんな五四郎さん、お話を聞いている合間合間には、都々逸を披露してくれた。「雨の降る日に 遠くの谷で 煙立つかよ 土の蔵」とか、「汗水流して 稼げばいつか 丸い団扇の 風も吹く」なんていうふうに。また歌も得意ということで、山梨県人として「武田節」に始まって、最近では「孫」や「箱根八里の半次郎」も歌うそうだ。昔は、都川や薬袋、角瀬なんかの盆踊り大会で歌っては賞をもらっていたというから、そののどは確かなもの。
 78歳になっても急傾斜の畑で大根を作れるほど元気なのは、五四郎さん曰く「七面様守るから(=七面様を拝んでいるから)健康だわ。」朝晩、一番大きな太鼓をたたくのが日課だそうだ。七面山で働く中でもかなり年輩の方というが、なんのなんの、五四郎さんはきっといつまでも七面山で仕事を続けているに違いない。

  • 七面山のこびき

五四郎さん

居住地 硯島地区 久田子
取材日 2002/08/28
取材者名 柴田 彩子