やってきた芸術一家

 久村さん一家は15年前に千葉県からこの地に移り住み始めました。普通なら家族の反対を受けるところですが、久村さん一家はむしろ逆で、後押しされるようにして移住を決定したそうです。はじめに東京近辺3時間以内ぐらいの場所を色々3年間ほど探していました。この地に出会ったときは「トンネルをパット出て感じがいいな」と感じたそうです。しかし、最初は大島の方に住み、5年ほどしてから今の住まいに移りました。どちらの引っ越しの場合でも隣近所の人たちがとてもいい人たちだったので、外から来たと感じるようなことはなく非常に過ごしやすかったそうです。
 家の長である久村さんは能面を作っています。千葉にいる時は十分な作業スペースもなく、木を彫る際の音や振動などで周囲の住民のことを気にしなければいけなかったが、ここはそんな心配もせず、自分のペースで作品に打ち込めるそうです。同年代の人たちも久村さんのように田舎に行きたがっているのですが、実際には難しいようです。久村さんが言うには「確かに便利さは前より劣るけど、それは基準の違い。その分、景色もいいし静かだし、水も食べ物もおいしい。何より、周囲の人があたたかい」そうです。今回の区長という大変な仕事でも地域の人々は協力的で困ったときはよくカバーしてくれているそうです。また、住民の声も反映されやすいため、都会に暮らしてた時よりも意見を言えるのがとてもよい。こういうことに少しでも早く気づいて、ここを離れていった人が帰ってきてくれれば・・・そんな願いがあります。

 久村さんの娘さんは2人おり、上の娘さんは焼き物をやっていて、下の娘さんは語学の教養を活かした仕事をしています。今回はお邪魔したときに上の娘さんがいらしたので、お話をうかがいました。

 大学から焼き物を続け、独立してからはや8年が経ちました。以前は場所の問題で小さい釜しかおけなかったが、こっちに来てからは大きい釜を取り入れて、一回で大きさによっては300個から400個近くの作品を焼くことができるそうです。都心で刺激を受けて作品を作るのもいいが、開発されていない自然がたくさんあるところで作品を作る方が自分は好きだと言います。早川はあたたかくてすごしやすいし、県内でも一番観光化されてないので、早川に決めたと言います。言うまでもなく最高の環境です。このまま自然が残るといいですね。
 また、ここでの子育てについても真剣に語ってくれました。去年の6月に赤ちゃんが産まれ、この早川町で育てようか、甲府の方の家で育てようか迷っているところだそうです。早川町のような全員の顔が分かるような少人数の学校と全員の顔までは分からなくても多くの人に囲まれている学校、そのどちらがいいのかについて考え込んでしまうと言ってました。少人数の学校は規律や礼儀の面でなあなあになってしまう部分が出てきてしまうことがあるので注意しないといけないとも語ってくれました。

 奥さんはこっちへ来てから家で食べる野菜のほとんどを目の前の畑で作っているそうです。草むしりが大変だけど、薬を蒔くよりはよいと思い、家族と協力してがんばっています。スーパーなどで買うより、はるかにおいしいものができるといいます。今度の夏に甘いスイカを食べにおいでと言ってくれました。

 久村さんの家では、犬を5匹も飼っています。この5匹全てが拾った犬です。おそらく届け出が出てないことから、この辺に猟をしに来た人たちが捨てていった役に立たなくなった猟犬だろうと言います。うろうろしている犬たちを見て、どうしてもほっとけなくて気づいたら5匹になっていたそうです。猟をしに早川に来てくれるのはいいが、猟犬に対する責任や自分たちで出したゴミの問題はしかっりとしてほしいと言います。おそらくこの問題はここだけではないでしょう。けど誰かが言わないと変わらないことです。 ハンターの人にこの願いが通じるといいですね。

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久村さん

居住地 五箇地区 薬袋
取材日 2000/03/21