再現の仕掛け人

 今年(平成11年)に養蚕を一度限りではあるが復活。水野定夫さんはその中心的人物。蚕の再現をしているときはワクワクするような気持ちでいたそうで、雨の日でも桑の葉を取りに行くのが苦にならなかったそうです。
 そんな定夫さんの養蚕歴は小学生の頃から始まります。お父さんのお手伝いで、子ども用の「しょいこ」を使って切り出した桑を運ぶ役割だったそうです。明治時代からこの集落では養蚕がはじまり、戦争前では日本の輸出は圧倒的に生糸が多かったのです。
 水野さんのお宅では、定夫さん自身が中心となって専業で養蚕をおこなっていました。桑の葉を2時間おきにあげなくてはならなかったこと、桑の葉の乾燥を防ぐ防乾紙や温度管理や湿度管理を自動的におこなう両国式飼育籠(稚産時に使う)など技術革新によってその回数が減っていったことなど色々な苦労話や体験を話してくれました。びっくりしたのは昭和6年頃は春に使う蚕の卵は長野から郵便で送られてきたそうです。生き物を郵便で送るなんて!それを行灯で下から火で温めると何日後かにふ化するのです。また、桑の葉が落ちてしまう農閑期(冬期)には、友達の金蔵さんのところで建設作業員などの仕事やっていたそうです。
 薬袋でもとても多くのお蚕さんを飼っていたそうです。養蚕をやめたのもこの辺では最も遅く平成3年まで続けていました。
 とても親切でパワフルなおじさんでした。

  • 再現の仕掛け人

定夫さん

居住地 五箇地区 薬袋
取材日 1999/07/23