蚕のお味は?

保博さん、美代子さんご夫妻にお話を伺いました。 養蚕は主に美代子さんが行って保博さんが手伝っていたそうです。

 いつから養蚕を始めたのでしょうか? 「薬袋に来て始めて(S36)みようみまねでやり方を覚えたよ。昭和60年前後まで養蚕は続けていた。みーんな桑の葉を肩でしょって運んでいた。山が遠くて運ぶのがとにかく大変だった。桑の葉は朝、晩と切りに行ったんだよ。朝は夜明け前からね。」朝早いんですね。僕なんてまだ寝ていない時間かもしれない・・・

 一年に何回くらいやられていたのですか?「近所の人と「今どこまで育った?」と話すのが毎日の楽しみだったねー。1年に5回養蚕をしていた。最後のほうになると中間がなくなり晩秋と晩晩秋が一緒になって年3回しかやらなかったな。」

 苦労なされたことは?「蚕の棚を床にべったり置くのではなく少しあげていた。そうすることで風通しを良くして病気の発生を押さえる事が出来たんだ。 カイテンモズを使う時は最初は一つのロープに三段にしてつる下げていたんだ。ほら屋根にくぎが残っているでしょう?けども、三段だと上からの排泄物で下の蚕が汚れてしまって階級が落ちてしまうので、あとから二段にするようになった。 桑の木を育てるために買った肥料だけではなく草むしりした後の葉っぱなども肥料としてあげていた。桑の葉っぱは蚕の年齢によってあげるものが違ったよ。生れたての頃は光っていて柔らかい葉っぱを選んであげていたしね。3齢を過ぎた辺りから光がなくて硬いものをあげても大丈夫だったよ。何齢の時は上から何枚目の葉っぱがいいということまで良く言われていたのだが忘れてしまったよ。 また3齢くらいから棒桑をあげるようになった。棒桑は下にスペースが出来るので風通しを良くして病気も防ぐことができてよい。特に大きくなってからは、通風が悪いと糞が発酵して熱が出て熱くなってしまうので気を付けていた。」ふー。蚕を飼うのってこんなに技術が必要なんですね。皆さんわかって頂けたでしょうか。本当はもっともっと詳しい話を聞いているのですが知りたい人は資料館へ。

 ところでこんなお話も 「玉繭のさなぎを食べたこともあった。いためると油があっておいしんだ。魚釣りの時にえさに使ったりもしたなー。」皆さん一度御試しあれ。

  • 蚕のお味は?

保博さん 美代子さん

居住地 五箇地区 薬袋