蚕は白くてきれいだからいいんだよ

 完一さんのお宅では先代から養蚕をやっていましたが、戦争中は桑畑を人間の食べるものを育てる田畑に転換しなければならなかったので、中断することになりました。完一さんは広島、下関などの学校(兵隊さんの学校?)にいて、戦後、早川町に帰ってきました。そして雨畑に住んでいた利子さんと結婚。正昭さんはふたりの息子さんで、現在町役場に勤めています。

 その後、完一さんは大工になり利子さんは養蚕を始めます。養蚕の大部分は、奥さんである利子さんの仕事であったそうです。利子さんは薬袋に来てから近所の人たちに養蚕のやり方を学んだといいます。最初は自分の畑に桑を植えるところから始めなければならなく、それに3年ぐらいはかかったそうです。

 養蚕をやっていて最も苦労した事は稚蚕の時の温度管理。蚕が幼い頃は室内で炭を焚いて温度を調節していたので、温度調節にも気を遣うし火事にも気を付けなければならなく、ゆっくり眠る暇もなかったそうです。もう一つ心配したのは雨。雨が降って濡れた桑をやると蚕が病気になってしまうし、雨に濡れた桑は重くて運ぶのが大変だから、雨が降りそうになると(降ってくると)すぐに桑畑に出かけて桑を切ってこなければならなっかたそうです。だから雨が降りそうになるといやな気分だったとおっしゃっていました。正昭さんは、養蚕を始める前に毎回家の中をホルマリン消毒するのですが、それが目や鼻に染みるのがいやだったそうだ。消毒した家の中にいると痛いし具合も悪くなるので、半日ぐらいは家の中に入ることが出来なかったそうです。

 桑きりは朝の5時、夕方の7~8時の2回。正昭さんも小学校入った頃から桑の運搬は手伝っていたとのこと。子供用の小さい背負子を作ってもらって、学校から帰ると山に登っていったそうです。今思うと大変な作業だったけど、その頃は村中でやっていたのでそんなに苦労とは思わなかったとおっしゃっていました。

 養蚕をやっていて最も楽しかった時は、ズバリお金を貰う時。集荷場に出来上がった繭を持っていって選別してもらい重さを量って現金化する。それにしても蚕は白くて綺麗だし最後は絹になるからやってられるけど、もし気持ち悪い色や形だったら嫌だなあと最後に笑いながらおっしゃっていました。

 かいこ君、君たちは白くてきれいでホントに良かったね。

  • 蚕は白くてきれいだからいいんだよ

完一さん

居住地 五箇地区 薬袋
取材日 1999/07/23