町の仕立屋さん

 直重さんの家の奥には、足踏みミシンやアイロン台など、今なお現役で続ける仕立ての道具がずらり。ご近所の方に頼まれたり、業者さんに頼まれたり。お金のためじゃなく針仕事が好きだから続けているとのこと。いまはもう新しい服を作ったりすることはない。「道具が古いから直すことしかできないよ」そんな直重さんの腕はいまでも十分たよられているようだ。仕立て部屋には仕立て上がりの背広が何着も下がっている。
 昔は商店もやっていた。お菓子や文房具、おでんなんかも店にならべていたとか。学校があった頃には随分繁盛していたみたい。子どもたちもよく寄っていったのだろう。そのお店も学校の閉鎖と共に閉めてしまった。学校の閉鎖は急速に薬袋から人口を奪い取っていったらしい。
 そして直重さんのもう一つの顔は元消防団員。その頃の業績を称えた賞状が部屋の中に所狭しと飾ってあった。30年間、この早川を守り続け、副団長も3年間務めた。その活躍は賞状の枚数が物語っている。
 子供は2人。盆と正月には孫もつれて帰ってきて、直重さんの家は賑やかになる。そのひとときをすごく楽しみにしているようだ。「人と接する機会は多いからさみしくはないよ。」という直重さんだが、やはり孫たちは可愛い様子。
 「後50年したら早川の人口は半分になる。」少し淋しそうにそう口にした直重さんは、生まれも育ちも薬袋。住みやすいとはいえないが、人情があつく、早川のなかでも比較的日当たりのいい薬袋が大好きなようだ。ひとりになって13年、周りと支え合って生きてきたからだろう。またこの町で必要とされている自覚ある。その指先と同様に表情もいきいきと輝いていた。仕立て職人の誇りがそこには見えた。

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直重さん

居住地 五箇地区 薬袋
取材日 2000/03/21