薬袋の先生

 佐野先生は先生と言われているように、教師をずっとやってきました。身延の教員養成所で教員の資格を取り、それから58才になるまでいろいろなところで教鞭を執りました。その後非常勤などでも教鞭をとり続け、45、6年間教師を続けました。小学校高等科を出ただけでなく、何か役に立つものをというきっかけで取った教員免許がこんなにも一生を左右するなんて想像もしていなかったでしょうね。
 教員を辞めた後この薬袋の交流促進センターの所長を2年間、その後は教育委員会に勤めています。ここではカウンセラーみたいな仕事をしています。他にも薬袋の地区の公民館長を3年ほど行い、遊び部会の部長もしています。
 こんな佐野先生の家は由緒正しく、ご先祖は昔早川一帯を任されていた金山奉行の佐野七郎兵衛という偉い人です。山梨県史にも載ったりしていて、佐野先生の家の古い文献を見に遠くの方からもやってきたりします。文献の数も多くあり、数えたことがないそうですが50から60ほどはあるそうです。
 そんな先生もこの早川町の未来には頭を悩ましています。どんどんと高齢者が多くなっているからです。ここでは役場、農協など以外は働き場がない。ここに住んで生活できる場がないと、活性化などと言ってもなかなか難しい。早川町は自然に恵まれているから自然をアピールして人を呼ぶなどしなくてはいけない。早川町に生まれたものが、早川町で育ち、早川町で生きられるような仕組みを作ることが肝心だ、とはっきりとした口調でおっしゃってくれました。

  • 薬袋の先生

佐野先生

居住地 五箇地区 薬袋
取材日 2000/03/21