薬袋今昔物語

 生まれも育ちも薬袋の定夫さんは、高校生になるまでここから通っていたそうですが、今回は、定夫さんが子どもの頃の話や、昔の薬袋の小正月の行事について、色々と聞くことができました。
 薬袋だけでなく、早川町のその他の集落で見ることのできる柳立ては、4メートルほどの竹に、5色の紙をまきつけたしだれをとりつけてある飾りです。昔は、飾り自体がもっと大きく、しだれももっと長かったそうですが、通行する車の邪魔になることなどから、この大きさになりました。かつては、青年団がやっていた柳立ても、現在では当番制になっており、日程も、当番地区の都合に合わせて決められ、今年は定夫さんの住む西地区の担当で、1月7日に立てられたそうです。
 この行事には、火伏せの願いが込められており、各家庭が持ち寄ったしだれを輪状にし、それを屋根の上に投げるそうです。
 この他、子どもたちが、各家を棒で叩いてまわる悪魔払いや、獅子舞などの行事が行われていましたが、これらはほとんど子どもや若者が中心となってやっていたために、できなくなってしまいました。
 現在、早川町に住む子どもの数は減る一方ですが、定夫さんが子どもの頃は、友達も多く、学校の行き帰りなどは、色々な遊びをして楽しんだそうです。当時のはやりはメンコで、定夫さんもメンコを持って、角瀬や高住まで遠征したといいます。それにしても昔の遊びは本当に楽しそうで、子どもの創造力というものに本当に感心してしまいます。
 ところで、人がどんどん町外へ出ていく状況でも、定夫さんが薬袋で暮らし続ける理由は、生活環境の良さと、時間の流れがゆったりしていることだそうです。今回も、お忙しそうだったにもかかわらず、約束の時間を延長してお話して下さいました。あと、もう1つ大切なことは、この土地の人間性の良さだそうですが、お話を聞いている私も、実は早川という土地と人間性のとりこになった1人です。

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