強力おじいちゃん

 茂倉で生まれた鉄三さんは、戦争で何年か集落を離れた以外はずっとここで過ごしてきました。戦争中は海外へは行かなかったものの、愛知・静岡・千葉と国内を三箇所もまわって働いたと言います。その途中、22歳のときには、なんと一日だけ茂倉に戻ってきて結婚式を挙げたのだそうです。  戦争がおわってからは、畑仕事のあいまに季節によっていろいろな仕事をしてきました。なかでも、「強力(ごうりき)」という、新倉から転付峠を越えて静岡県の大井川上流の山で働く人たちに、味噌などの食料を背負って運ぶという大変な力仕事をしていました。最初は5貫目のみそ樽を一つ運ぶのが精いっぱいだったのが、仕事を続けるうちに2つや3つ持っていけるようになったといいます。なかなかいい稼ぎになったそうです。また、昭和41年頃に閉山するまで、茂倉鉱山で石膏を掘る仕事をしていたこともあるそうです。本当は大工になりたかったおじいちゃんですが、その時その時食べていくには、こういった仕事をするしかなかったといいます。  そんな働き者のおじいちゃんも、最近では集落から出かけるのは年に一・二回程度になってしまったそうで、「歳をとってくると、孫たちが元気でいてくれることが一番だよ。子供や孫が病気になるぐらいなら、自分がなったほうがいい。」と、8人もみえるお孫さんたちの健康を、自分のことのように心配されています。  集落の今後については「働くために集落を出ていった人たちも、歳をとればだんだん故郷を思いだし戻って来るのではないか。今まで一生懸命働いてきたぶん、このような場所で静かに生活するのがいいのでは。」とおっしゃっていて、この集落も少しずつにぎやかになっていくのではないかと期待されている御様子でした。  ふと気が付けば、紅葉も随分薄くなってきた山を眺めながら、ポツリと一言「カラマツの葉はいい色なんだよね。秋になると黄色になってすごくきれいなんだ。そして、それが落ちると寒くなるな。」

  • 強力おじいちゃん

鉄三さん

居住地 三里地区 茂倉