本村(北村)の「業師」

 秀利さんは昭和34年に宮崎から榑坪の発電所に来たのがきっかけで、ここに住むようになりました。その後原村にある大昭建設で働いていたのですが、昭和55年の7月に怪我をしてしまいました。障害者として人に見られるのが嫌で、怪我をして12~3年は家から外に出たくなかったのですが、保健婦や民生委員の人々に勧められてリハビリを行い、外出をするようになりました。
 現在では、竹やくるみなどを使った置物を作ったり、植物を育てることを趣味としています。中でも竹細工は毎年文化祭に出しており、中でも竹で作ったカニは南巨摩郡でも1等になり、くるみを抱いたリスは県で努力賞をもらうほどの腕前です。リスは草塩にある町のデイケアセンター“長寿苑”にきんさん・ぎんさんが来たときにもプレゼントしました。作品は皆が欲しがるのですぐ人にあげてしまい、あまり自分の家にはとっていないそうです。それでも『皆が喜んでくれればそれで良い』と話してくれました。なお秀利さんの作品は長寿苑にたくさん飾ってあります。
 植物はサクラソウ、キク、ひょうたんなどを作っており、こちらも人にあげたり文化祭に出したりしているそうです。しかし、片手を松葉杖にとられてしまうため、キクなどの重い鉢を持って移動させたりするのはとても困難なのだそうです。しかし、そんな人一倍の苦労のためにこのような美しい花が咲いているのかもしれませんね。
 ちなみにひょうたんは単に大きなものを作るだけではなく、つるを途中で結んだような珍しい瓢箪も作っていました。まだ実の小さいうちに結ぶのだそうですが、すぐに蔓が折れてしまったり、結んだ位置が真ん中にならなかったりして調整するのが大変なのだそうです。また、蔓が入り組んでいるため、瓢箪の実の中から種を取り出すだけでも一日かかってしまうとか。
 このような様々な創作活動をしていると足の痛みも忘れることができ、作品に没頭して次々に新しい作品を生み出しています。

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秀利さん

居住地 硯島地区 本村