こどもの時間
あい子さんは早川集落で生まれ、中洲にお嫁に来ました。今回は、子どもの頃の思い出についてお話を伺いました。
あい子さんの小学生時代、まず学校から家に帰ってくると、お櫃の上に「○○の畑」というメモが貼ってあり、その畑へ手伝いに行くのが日課だったとか。農繁期には、大人全員が農作業に当たれるよう、妹をおんぶして学校に行ったこともあったそうです。こんな生活は今の子どもたちには想像もつかないと思いますが、当時はどの家もそれが当たり前で、大変だとか辛いとかはあまり思わなかったともおっしゃっていました。
そんな忙しい毎日を過ごしていたあい子さん。でも、やっぱり子どもは子ども。暇を見つけては近所の子どもたちと遊んだとか。集落の外れに大きな椋の木があり、その実を使っておはじきのように遊んだり、米をとった後の稲藁で長縄を作って遊んだりもしました。その他にも陣取り、石けり、ちんぱた(けんけんぱ)、などなど。お正月には、夜遅くまでカルタ取りをしたりもしました。
また当時、早川町には小中学校が地区ごとにあり、年に1回、学校対抗の競技会があったそうです。早朝から町中の子どもたちが歩いて集まり、男の子は野球、女の子はバレーボールで熱戦を繰り広げました。「三里と都川が強くて、いつも優勝を争っていたんだよ」とは、あい子さんの弁。
あい子さんが通っていた学校には、1学年に60人、小中学校合わせると400人の子どもたちがいたそうです。今では早川町もご多分に漏れず、過疎化によって子どもたちが少なくなってしまいましたが、あい子さんのお話を伺って、この大自然の中で子どもたちが走り回り歓声を上げる様子が目に浮かびました。
あい子さん
居住地 | 三里地区 中洲 |
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取材日 | 2001/12/03 |