たね子さんのお仕事

 たね子さんは、空襲やだんなさんのお仕事の都合で甲府や下部、新倉と点々として、昭和42年に中洲へいらしたそうです。はじめて、あるかなきかのでこぼこ道を通って早川町に来たときは、なんという遠くまで来てしまったのだろうと思われたそうです。多くの人は山を降りていくのに、自分は少しずつ登ってきてしまったと笑っていらっしゃいました。しかし、周囲がみんないい人達だったので、それが本当に嬉しかったそうです。今はヘルシー美里の厨房での仕事と仲間が好きなので、職場にいるのが楽しいのだそうです。
 最近では、(要予約ですが)外へ行ってみんなで習ってきた手打ちの蕎麦が評判のメニューで、蕎麦打ちの教室も開くそうです。ヘルシーは、今年からお休みすることになりましたが、創業以来10年間、年末年始もずっと忙しく働いてこられました。長く続けてこられたゲートボール(全国大会に出場されたこともあるそうです)の試合も、仕事が忙しくて出られないことも多いそうです。
 ヘルシーには温泉の施設もありますが、お仕事の後でははやく家に帰りたくなってしまって、なかなかは入ることもないといいます。とはいうものの、家の他に仲間といられる場所があり、お客さんと接することもできる仕事についているということは、たね子さんにとってとても大切なことです。お家には7人目になるお孫さんもいて、そこにもそれなりの楽しみがある、仕事場あっての家庭だし、家庭あっての仕事場だと言うたね子さん。様々などうしようもない理由で移動しながら生活してきて、どこにいても今いる場所を大切にするということを基本としているのが伝わってきます。

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たね子さん

居住地 三里地区 中洲
取材日 2001/12/06