中洲と台風

 中洲の県道沿いのお宅に1人で住んでいるのが、かつて発電所で働いたこともある猛さんです。当時発電所では全国から30人以上が集まっていたそうですが、中洲についても同じことが言えるようで「ここで生まれた人が少なくて合衆国みたいなもの」と教えてもらいました。
 結婚を期に西山の下湯島から今の家に移り住んで50年、その間の一番大きな事件として昭和37年の台風の話をしてくれました。中洲は集落が川に近いため被害を受けやすく、この時は県道と川の間にある家はきれいさっぱりなくなってしまったそうです。猛さん自身向いの家が「ガリガリ、ジャポン」という音とともにあっという間に濁流に飲み込まれるのを目の前で見たと言います。他にも働いていた発電所がストップしたり、見返り橋が流されるなど大変な被害であったとか。
 猛さんは若い頃他所に出て苦労をしたようです。まず昭和16年に尋常高等学校を卒業すると東京の工場で修行です。昭和19年には徴兵検査を受けて広島へ。原爆投下の時には爆心地から2・のところに居たそうです。今も76歳には見えないほどお元気ですが被爆者手帳は持っているとか。「早川に帰ってきた後も終戦直後であったため大変だったが、後の発電所の仕事は修行時代に習得した技術があったおかげ」と最後に付け加えてくれました。
 今はゲートボールと養蜂を好きな時に楽しむという猛さん。晩酌を欠かさないのも元気の秘訣のようです。

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猛さん

居住地 三里地区 中洲
取材日 2001/12/04