若き物知り館主

 守さんは白根館のご主人。奈良田の七不思議の中にある洗濯池に源を発する温泉を持ち、効能の多さから七不思議の湯と呼ばれている。3年前にもう一つ温泉が出てきて、露天風呂となって人気を集めている。
 守さんは生まれも育ちもここ奈良田で、最初は県庁に勤めたがどうも合わず、おじさんが独立しておこしたコンピュータソフト会社で働くようになった。しかし東京の人混みが辛く、並んで切符を買うのが嫌で、長男の誕生を機に奈良田に帰ってきた。
 昭和60年にそれまで白根荘だった名前を白根館と改め、10年計画で売り上げや集客目標を立て、長野、群馬等各地の旅館を視察し、個性ある宿づくりに取り組んできた。料理は出来るだけ奈良田の郷土料理、ここにしかないものを出すようにし、素材は必ず地元のものを使っている。それがお客さんに好評で、沢山の人が訪れるようになっている。
 3人の息子さんがいて、今は三男が白根館で手伝いをしている。親子2人で消防団に入り、とにかく火事になったら消防車が来るのをあてにできない山奥なので、防火には常に気を使っているそうだ。次男は大学を出て、料理の勉強をしている。しばらく修業をした後白根館に戻ってくる予定だそうだ。
 日本秘湯を守る会、旅行作家の会、日本旅のペンクラブ等に所属しており、多忙な日々が続いている。だが全国の旅館やホテルのオーナーやもの書きとの付き合いは、旅館経営にとってプラスになる面が多いそうだ。
 奈良田についてもたくさん聞かせていただいた。武田信玄が奈良田を優遇したのはなぜか? その理由は定かではないが、孝謙天皇の御遷居に由緒するものという説や、隠密村であったという説など、興味をそそる話ばかりだ。また、奈良田に伝わる民謡の中には、郡上踊りで有名な岐阜の郡上八幡と曲は違うが、歌詞が全く同じだったり、すり足の踊りが似ているなど不思議な話もある。
 奈良田はダムの出来た昭和30年頃、がらっと変わった。お話を伺っていた部屋に、昭和28年の奈良田の写真が飾ってあるが、今とは全く違う。ダムで家屋を移転する際には、新しいモノが大量に入ってくる中で、たいていの人は古いものを捨てようとしたが、故・正志さん(ふみえさんの夫)が必死で古いものを集めたという。そのおかげで現在資料館に数多くの昔の生活用具が展示され、その価値が知られてきた。正志さんは白樺会の生みの親、育ての親であり、今もその会は民謡の保存などに重要な役割を果たしている。
 奈良田は言葉も習慣も独特で、テレビの取材や研究者が殺到している。おかげで奈良田の人はすっかりカメラ慣れしているとか。そしてこうした文化を出来るだけ子供に伝えていきたいそうだ。だが奈良田はこれから10年で相当変わると思っている。若い人は出ていき、この集落は消えてしまう運命にあるのだろうか? とにかく意識の面では都市に負けないようにしていくことが大切だと語る守さんに、力強さを感じた。

 白根館のホームページがありますので、興味を持たれた方はこちらまで

  • 若き物知り館主

守さん

居住地 西山地区 奈良田