奈良田の長老

 喜一さんは奈良田の集落では最年長。戦時中に近衛兵としてビルマに4年、中国に2年程行った以外は奈良田で焼畑や下駄職人をしながらずっと過ごしてきたそうです。奈良田にダムができる時も甲府周辺に出ていってしまう人がいても、自分は先祖に申し訳ないなという思いから奈良田に残ったそうです。
 現在は15、6年前に建てられた山城屋で「くろもじのようじ」を作りながら1日を過ごしています。山城屋は、昔の奈良田の民家を真似て作られた建物で、私たちが訪れた時にはいろりを炊いて話をしてくれました。昔の奈良田の民家の特徴なのか夏にいろりを炊いても涼しく感じられました。
 昔の山城屋では、4、5人のお年寄りが来て、わらじ、おぼこ人形、ねじり袋などの奈良田の伝統的民芸品を作っており、観光客に作り方を教えたり会話をしながら作ったものを売っていたそうですが、今では喜一さん一人が通っています。しかし後継者もちゃんといるのでまずは安心とのことでした。それでも喜一さんが山城屋で「くろもじのようじ」を作り続けるのは、山城屋を訪れる観光客と話しができるのが楽しいしボケ防止にもなると語ってくれました。朝8時から午後4時まで山城屋で働いた後、喜一さんは奈良田の里の温泉に毎日入っているそうです。ここでも毎日温泉に入るのは、温泉を訪れてくる人と話しをするのが楽しいからだと話してくれました。
 とにかく、家にこもっているよりも、山城屋や奈良田の里の温泉でいろいろな人と会話をするのが好きな喜一さんは、私たちにも奈良田の方言のことや奈良田の七不思議のことを話してくれました。

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喜一さん

居住地 西山地区 奈良田