地域に尽くす

 下湯島生まれの宗吉さんは小学校の教師をやっていた。西山小に約23年、三里小に約15年、都川小に1年、硯島小に2年、41年間の教員人生はすべて早川町内の小学校で過ごした。早川町出身で、宗吉先生に教わった児童は少なくはないはずである。大病を患った宗吉さんは、定年まで働く環境を与えてくれた地域社会に感謝していて、定年後は何とかして、地域の活性化に役立ちたいと思った。
 公民館活動のひとつで、平成6年「西山の明日を拓く会」を結成した。その後様々な話し合いを経て、昨年4月、西山農園がオープンした。最初は福祉施設を作りたかったが、財政上の問題等があり、結果として農園と温泉採掘をすることになった。農園は旧西山中学校の敷地内に山菜園と薬草園を作って公園化し、この地域を訪れる観光客に見てもらい、多少でも販売して収入を得ることを目的としている。また地域の人が作った農作物もここで売っている。自分の作ったものを売ることで、地域の人が生きがいを持ち、元気になってほしいというねらいがある。温泉はとりあえず採掘をし、温泉が見つかったら、施設建設等の次のステップを考える。宗吉さん自身は「西山の明日を拓く会」を提言した責任者であったため、下湯島の裕美さんと一緒にこの西山農園を運営している。野菜を作る人、キノコを育てる人、炭を焼く人などみんな一生懸命、生き生きと元気になってきた姿を見るときが、自分たちはやりがいがあることをしていると思える瞬間である。
 妻のけさ江さんは、西山郵便局、西山温泉の旅館に勤めていたことがあり、西山温泉を訪れる客は湯治客が多かったことを知る。そこで、主にその湯治客への昼食を提供することを目的に、昭和46年に西山温泉で湯川食堂を開く。鍋焼きうどん、手打そば、きびめし定食など、この地域で昔から食べていたものを出していた。とても繁盛したという。けさ江さんは一人でやっていたので大変ではあったが、お客さんがいつも手伝ってくれたので何とかできたという。足を悪くしたこともあり、残念ながら現在は店を閉めてしまった。毎日リハビリに励んだら、ある程度はよくなったという。「努力次第で悪いところは治るものだよ」とけさ江さんはいう。
 宗吉さんとけさ江さんは、午後3~5時までの食事代と自動販売機の売り上げの一部を寄付してきた。最初はアフリカの難民への米援助の寄付をしていたが、より地域に身近な奉仕がしたいということから、10年ほど前からは町の福祉へ寄付している。何かを尽くしていれば気持ちがよいし、人生おもしろい。
 自分たちの自身のことも積極的に考える。宗吉さんは健康のため、毎朝歩いている。川柳やお経も始めた。教員時代からこつこつためた貯金で、毎月2泊3日の旅行をしている。75歳までは続けたいとか。二人が健康でいられることが、一番の幸せだという。
 今日も地域のためにふたりは頑張っている。「何かやっている人はみんな元気。自分たちもやらなくちゃと思う。少なくともあと5,6年はね。」と毎日暇なしでかけまわっているのだ。

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宗吉さん けさ江さん

居住地 西山地区 温泉
取材日 2002/08/26
取材者名 遊佐 敏彦